谷口渡場・跡 人吉市 人吉城跡内
サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。人吉城跡の北東側、球磨川筋に谷口渡場・跡はある。
谷口渡場・跡 たにぐち
人吉市 人吉城<球磨川> 渡し場 安永9(1780) 歴史の道・球磨川水運p.57/WEB(みさき道人) 川に面した人吉城の石垣脇に石垣・石階段・石畳が一連で残る/川岸には巨石の敷石も残る 谷口舟渡は、主に城内と対岸の商人町・侍町との交通に利用されたもの/藩は宝暦6(1756)に谷口より上流に他領の舟が上るのを禁止しており往来監視のため舟番所も置かれた/渡し場の跡が残る稀少な事例 1 A
現地説明板は、次のとおり。
谷口舟渡跡
江戸時代、球磨川に架けられた常設の橋は、城下の中川原にあった大俣橋・小俣橋の1ヶ所であった。そのため対岸と往来するには川舟を利用しており、球磨川筋には多くの舟渡場があった。
谷口舟渡は、主に城内と対岸の商人町・侍町との交通に利用されたものである。藩は宝暦6年(1756)には谷口から上流に他領の舟が上るのを禁止しており、往来監視のため舟番所も置かれていた。
なお、梅花の渡は、対岸五日町裏の渡し場のことである。
平成5年3月 人吉市教育委員会