唐人屋敷の境石  長崎市館内町 ( 長崎県 )

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唐人屋敷の境石  長崎市館内町

サイト「近世以前の産業・土木遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。館内町唐人屋敷跡の上部、天后堂後ろ側角に「福建地堺」の境石はある。
稲佐国際墓地の最上部(稲佐山登山道路側)には、「福建墳?地堺」と刻む境石(高52cm,29cm角)もある。
本ブログ次も参照。  https://misakimichi.com/archives/422
天后堂資料は、布袋厚氏著「長崎石物語 石が語る長崎の生いたち」長崎文献社2005年刊の30頁から。

唐人屋敷の境石 とうじんやしき
長崎市 天后堂・裏 唐人屋敷の境界石 高100㎝,24㎝角 元文元(1736)以降 WEB(みさき道人)/長崎石物語 煉瓦塀に埋め込み/他に高さ50㎝以下のものが1基現存 唐人屋敷は、清の「遷界令」の撤廃(1684)を受けて、元禄2(1689)、長崎奉行所が設けた中国人居留地であるが、境界石の設置年代は不明(左記の年代は天后堂の建立年)→安政の開国により廃屋化したので、下記の外国人居留地境石よりは古いと推測される(刻字が浅く、居留地境石と同時期の建立とは考え難い)/(正面)「福建地堺」 3 B