田子島台場跡 長崎市福田本町
平成21年4月学さるく「神の島から福田まで」講師江越弘人氏の作成資料による説明は、次のとおり。
福田バス停から福田中学校へ向かう。グランド側の市道沿いに史跡説明板が千本松原とともにある。
本ブログ次も参照。 福田の散策(4) 福田本町の史跡 長崎市福田本町
https://misakimichi.com/archives/1671
田子島台場跡
嘉永6年(1853)にペリーが浦賀に来航した一月後の7月に、ロシアのプチャーチンが軍艦4隻で長崎に来航し、通商を求めた。大村藩では翌年安政2年(1854)に長崎出入の枢要の地点である千本松原の田子島に4つの台場を築いた。また、3年後には改築して台場を増強したが、その概要は次のとおりであった(大村郷村記)。
一の台場 18ポンド砲1門、12ポンド砲1門、1貫目砲1挺 計3門
二の台場 12ポンド砲2門、1貫目砲1挺 計3門
三の台場 12ポンド砲1門、1貫目砲1挺、5百目砲1挺 計3門
四の台場 12ポンド砲1門、1貫目砲1挺、7百目砲1挺 計3門
硝煙蔵1棟、武具蔵2棟、番手小屋1棟、硝煙小出蔵4ヶ所
サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストのデータに、次のとおり登載された。
田子島台場・跡 たごしま
長崎市 台場(大村台場) (一)18ポンド砲1,12ポンド砲1(二)12ポンド砲2(三)12ポンド砲1(四)12ポンド砲1 安政2(1855) WEB(みさき道人) 石塁が残る(総延長約400m) 大村藩が長崎出入の枢要の地点である千本松原の田子島に築いた4つの台場の総称(一の台場〜四の台場) 3 B