高山新溝記  肝付町新富神之市

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高山新溝記  肝付町新富神之市

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。石碑は補修され、二階堂家住宅へ着く手前の高山川橋脇の土手に建っていた。

高山新溝記 こうやま
(肝属)肝付町 新溝 石碑(板碑型) 高約180㎝,幅約100㎝,厚約20㎝ 寛文11(1671) 町教委 風化が激しいため、側面と頂部をC補強 (正面)「此國肝付郡高山府新富野崎之二邑田疇広而流水乏得甚/雨則農夫鞭牛耕遇旱夫則厮児繋馬秣其稼秀而不実者矣/歳無之此故憂多而楽少矣、惟島津氏久通翁世英傑而□開/國政人向化□□凡之竹其農功盛烈山高水長此民憂請君/以引河流而濯乾田䟽溝洫而開広埜君許以諾也、翁又命又/命士宰之士自承、翁之命寤□思眼清禾完哉笠臨□頭黄昏星/還屋裡還謀」(緑字は2文字で1つの文字→のぎへんに“完”)/上記の「岩渕上の隧道」を含む新溝の完成を記念して建立 2 C

「岩渕上の隧道」は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/4090