大正十一年頃のガラス写真 123 稲佐悟真寺墓地

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大正十一年頃のガラス写真 123 稲佐悟真寺墓地

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
123  (稲佐悟真寺墓地)

目録番号:5313 稲佐悟真寺墓地
〔画像解説〕    超高精細画像
上野彦馬アルバム所載の1葉。悟真寺は稲佐山の麓に位置し、慶長3年(1598)の創立という長崎近郊では最初に再興された浄土宗の寺院である。裏山に広がるその墓地は、早くから長崎で客死した中国人やオランダ人の埋葬に当てられており、幕末以降には来航したロシア人なども加えられて、それぞれに区画された墓域をなす国際墓地を形成していた。画面左手の松林の向こうにロシア正教の礼拝堂があり、中央下に蓮池に架かる石橋が見えることからして、現在の「悟真寺国際墓地」入り口に当たる。橋の上の人物は、中央の水桶を天秤で担ぐのは服装からして中国人のようで、両脇の褌に半纏を羽織り、頭に鉢巻きをした人足風の二人はまだ髷を結っているようにもみえる。とすれば、明治初年の撮影であろうか。画面に墓域の明確な区画は見えないが、オランダ人墓地の周囲に煉瓦塀を構えるようになったのは、ずっと下って大正7年(1918)のことであった。

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号123は、「稲佐悟真寺墓地」(長崎市曙町)であろう。
長崎大学データベースに、目録番号:5313「稲佐悟真寺墓地」などの作品がある。
画像解説にある「中央下に蓮池に架かる石橋」を渡って、墓地内中央の石段の通りの道を少し登って、左後ろの方を振り返る。中国人墓地越しに「悟真寺」の本堂がこの位置に見えるはずだが、現在は木立のため写らない。
本堂は原爆で焼失し再建されているが、横壁は同じ造りと確認できる。