長崎外の古写真考 幕末・明治 107頁 瀬戸内海

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長崎外の幕末・明治期古写真考 幕末・明治 107頁 瀬戸内海

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

写真で見る 幕末・明治
107頁  瀬戸内海  1880年代 金幣アルバム
〔画像解説〕
小島が点在する美しい景観は瀬戸内海の特色。遠くに小舟が浮かぶこの写真は、静かさを感じさせる。瀬戸内海は国立公園として、今も美しさを保っているが、瀬戸大橋が架かるなど、景観は変わりつつある。

目録番号:3221 備後鞆津(2)
〔画像解説〕
福山・鞆港の東側にある大可島を東浜から望む。大可島は南北朝期に南朝方の拠点として大可島城が築かれた。江戸時代には,円福寺や鞆港出入りする船舶を監視するための船番所が置かれた。写真では現在では干拓により消滅した各商家からの突出し突堤や階段を写されている。

■ 確認結果

世界文化社「写真で見る 幕末・明治」1990年発行の107頁「瀬戸内海」は、瀬戸内海でも具体的な撮影場所の説明がない。
データベースの目録番号:3221「備後鞆津(2)」の解説どおり、福山・鞆港の東側にある大可島を東浜から望んでいる。

横浜開港資料館・(財)横浜開港資料普及協会編「彩色アルバム 明治の日本 <横浜写真>の世界」平成2年発行の157頁「西日本 4 鞆津」の解説も、次のとおり。
4 鞆 津
〔画像解説〕
〔4〕〔5〕は尾道の東方沼隈半島先に位置する鞆津(現福山市内)で、〔4〕は鞆の湊入口北に突出した陸繋島の大可(おおが)島。南北朝の動乱期に南朝方が城を占拠したことで知られる。現在、城跡は円福寺境内となっている。…