長崎の古写真考 彦馬の世界 206P 寺院楼門

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長崎の幕末・明治期古写真考 彦馬の世界 206P 寺院楼門

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

上野彦馬の世界 206P 寺院楼門  (長崎歴史文化博物館蔵)
幕末から明治初期に撮影。鶏卵紙。

目録番号: 5360 悟真寺(3)   超高精細画像
〔画像解説〕
上野彦馬の撮影。稲佐山の麓にある悟真寺は、長崎郊外におけるキリシタン禁制後に復興された最初の仏教寺院として知られ、江戸時代を通じて中国人やオランダ人、幕末以降はロシア人らの墓所に当てられた。浄土宗の寺院だが、背後にそういう国際墓地があることで著名である。画面中央には、右に山門、左に本堂が写っている。重層、入母屋造の本堂は、文化11年(1814)に再建されたものがその後数度の修理を経て残存していたが、原爆で倒壊し、戦後、山門の真後ろに位置に鉄筋コンクリートで再建されている。山門はいわゆる龍宮門形式の重層門であるが、この形式となったのは、文政年間の絵図ではまだ冠木門に描かれているので、元治元年(1864)の修復時かと推定される。撮影時期は不詳だが、明治中期頃であろうか。山門の向こうには本堂脇の鐘楼と背後の庫裏が覗いている。現在は、山門前の石段等も向きを変えて大幅に改造されている。

■ 確認結果

上野彦馬の古写真集「レンズが撮らえた 幕末の写真師 上野彦馬の世界」が、山川出版社から2012年8月発行されている。
206P「寺院楼門」は、寺名の解説がなく不親切であろう。長崎大学データベース目録番号:
5360「悟真寺(3)」と同じ作品で、長崎市稲佐の「悟真寺」である。本堂は原爆で倒壊し、戦後、山門の真後ろに位置に鉄筋コンクリートで再建されている。

この項は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/2819
長崎大学データベースで目録番号:5360「悟真寺(3)」は、撮影者未詳が〔撮影者:上野彦馬〕と現在は訂正されているが、目録番号:6261「稲佐の悟慎寺」(掲載略)は、間違ったタイトルの寺名のままである。