長崎名勝図絵の風景 21 河 原 池(川原池)
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
雌池「川原大池—阿池姫(おちひめ)伝説と湖畔風景」は次を参照。最後の写真が雄池(川原小池)跡。昭和52年埋立てられ、平成16年「三和記念公園」として整備された。
https://misakimichi.com/archives/147
長崎名勝図絵 巻之二下 南邊之部
162 河 原 池 (文献叢書 139〜142頁 所在地 長崎市宮崎町)
長崎の南五里半 河原村にある。池が二つあり、一を雌池、一を雄池という。雄池の方が小さい。雌池は雄池の南にあって、海に近い。広さは数百畝ばかり。池の水は青く澄みちぎって、塵一本浮いていない。…(龍と化した阿知姫伝説が続く)…村人は雄池雌池併せて二霊池と称する。後世一寺を建立、池の祭祀に当たらせた。河原山龍池院法音寺という。雌池の傍にあり、土地の人は、池の御前と呼んでいる。この雌池の伝説とよく似た話が、普の干寶の捜神記にある。和漢と同じ話ではある。
うくものは紅葉もめでず池の神 沈山 池辺にある発句の石碑