長崎の幕末・明治期古写真考 ながさき浪漫 102頁 白魚とりの浦上川
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
アルバム長崎百年 ながさき浪漫
102頁 白魚とりの浦上川
〔画像解説〕
昔、初夏の風物詩は? そうです。浦上川の白魚とりでした。海から遡上する白魚を一網打尽?とはいきません。なんしろ網は小さい。でも、これで一合枡に一杯ぐらいはあるかもね?
大正の中期・浦上川?
■ 確認結果
長崎文献社「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」平成11年発行の102頁に掲載されている「白魚とりの浦上川」。長崎文献社所蔵写真と思われる。長崎大学の古写真データベースでは見当たらない。
説明文は「ながさき浪漫会」。上記の画像解説に別に問題はない。
ただ、「大正の中期・浦上川?」とある。私の関心は白魚とりではなく、対岸高台に写った白い建物と背景の岩屋山にある。この建物は、被爆直後の2枚目写真(長崎原爆資料館所蔵)どおり、開校当時の「城山尋常小学校」(現在は長崎市立城山小学校)の校舎であろう。
長崎市立城山小学校HPによる「学校の紹介」は、次のとおり。大正12年頃、開校当時の学校を姿を写した貴重な写真と言える。背景の岩屋山の位置から、浦上川と下の川が合流する現川口町の川岸から、撮影したと思われる。
確認写真は、岩屋山山頂からと川口町高架道上から。
城山小学校の紹介 2011年4月
本校は, 長崎市のやや北西部に位置する城山町の緑豊かな丘の上にあり, 全校児童488名,19学級の学校です。大正12年, 九州初のコンクリート3階建て校舎を持つ城山尋常小学校としてスタートし, 創立86年目を迎えます。
当時の城山尋常小学校は緑に囲まれた白亜の校舎で, モダンな学校として有名でした。
昭和20年8月9日長崎市に落とされた原子爆弾により, 爆心地からわずか500mの距離にあった本校は, 瞬時に美しい校舎や林間, 1400余名の児童,31名の教職員, 105名の学徒報国隊員等を亡くすという悲しい歴史も背負っています。…