長崎の古写真考 ながさき浪漫 97頁 トンネルは未知の世界ののぞき窓

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長崎の幕末・明治期古写真考 ながさき浪漫 97頁 トンネルは未知の世界ののぞき窓

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

アルバム長崎百年 ながさき浪漫
97頁  トンネルは未知の世界ののぞき窓
〔画像解説〕
我が国の写真術の開祖、上野彦馬翁の名が入ったトンネルの写真です。となれば、さあー、どこかしら? 道路トンネルは、彼の存命の時は、まだ、ほとんど開通していません。長崎本線のどこかのトンネルやろね?

■ 確認結果

長崎文献社「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」平成11年発行の97頁に掲載されている「トンネルは未知の世界ののぞき窓」。長崎文献社所蔵写真と思われる。長崎大学の古写真データベースでは見当たらない。
説明文は「ながさき浪漫会」。上記の画像解説に別に問題はない。

ただ、このトンネルを「長崎本線のどこかのトンネルやろね?」としている。わかって謎かけだったら失礼となるが、長崎近くで考えられるのは、明治31年(1898)に開通した、長与町本川内郷のJRトンネル「松ノ峠(「松の頭」の表記もあり。まつのとう)隧道」(延長1094m)である。
煉瓦造りの重厚な入口(ポータル)を持つ。開通した当時、日本国内の鉄道トンネルでは5番目の長さ。上野彦馬は、明治37年(1904)長崎で死去。享年67。存命中だった。

現在の本川内側入口2枚目の写真は、ブログ「鉄りすと」ロケハン中(撮り鉄・本川内編(9月10日・その1))2008年から。銘板や上部がはっきり確認できないが、間違いないだろう。ほかは私の写真。伊木力側入口も見せる。ウィキぺディア・フリー百科事典による説明は、次のとおり。

長崎本線(ながさきほんせん)は、佐賀県鳥栖市の鳥栖駅から長崎県長崎市の長崎駅までを結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(幹線)である。ほかに喜々津駅 – 長与駅 – 浦上駅間の別線を持つ。長崎線とも呼ばれる。…
長崎本線は、九州鉄道の手により現在の佐世保線・大村線のルートで建設された。鳥栖 – 早岐間と長与 – 長崎間が開業した1897年より全通するまでの約1年間は、大村湾に連絡船を開設して暫定的な連絡機関としていた。…
1898年(明治31年)11月27日 【延伸開業】*大村 – 諫早 – 長与(鳥栖 – 早岐 – 長崎間が開通) 【駅新設】諫早、喜々津、大草 …