冨 貴 寺 豊後高田市蕗
豊後高田市から桂川沿いの県道34号により東へ向かう。田染真中から県道655号へ左折して行くと、「富貴寺」がある。
富貴寺HPによる説明は、次のとおり。
国宝冨貴寺
四季折々に美しく表情を変えるみほとけの里、国東蓮華山冨貴寺(蕗寺)は、六郷満山のなかで、満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ。天台宗に属しています。寺伝によると、養老二年(718)仁聞菩薩の開基といわれています。
昔この地に、高さ970丈もある榧(かや)の大木がありました。その影は数キロを越えにもおよんだそうです。竹田番匠が、この榧の木一本で大堂を造り、仏像を刻んだといいます。その余材で牛を刻み、それでもまだ余材があったので、刻んだ牛に乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなりました。その地に建てたお堂が、真木の大堂であると言い伝えられています。
国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物です。内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は日本の四大壁画の一つに数えられています。
境内には国東塔、石殿、板碑、笠塔婆、仁王像梵字石などが多数あります。
とどまらむ 時の流れにすぐられて 今に残れるだにも尊し 田吹 繁子
大堂への入り口である、山門の両端に地石ををつかった仁王様が入門する人々に睨みをきかしている
仏像 本尊は阿弥陀如来坐像で、高さ約85センチの榧(かや)材寄木造り。螺髪(らほつ)で、二重円光を背負っています。現在は素木のままですが、もとは華麗な漆箔像であったらしく、螺髪にそのあとが見られます。
伏し目がち、半開きのまなだし、ふくよかな相貌をしており、藤原時代末期の作と推定されています。本堂には阿弥陀三尊像が安置されており、阿弥陀如来坐像は高さ約88センチ観世音菩薩と勢至菩薩はともに立像で約108センチ。藤原時代末期の秀作で、現代は県指定有形文化財になっています。
笠塔婆 (柱上の塔身上に笠石、宝珠を置く)も五基あります。鎌倉時代の僧侶広増によって建立され、最も古いのは仁治二年(1241)のものです。(昭和40年県指定有形文化財)
国東塔は国東地方に特有の形式だということで、天沼博士が命名された由緒あるものです。大小二基のうち、大は無銘、小は慶長八年(1603)と墨書の銘があります。