西海町の主な史跡 (1) 西海市西海町
西海市西海町の主な史跡。西海町「西海町郷土誌」平成17年発行606〜614頁の指定文化財による説明は次のとおり。項目の番号は調整。
七ッ釜鍾乳洞内部と横瀬浦航空写真は同郷土誌から。
写真 1〜 2 1 七ツ釜鍾乳洞(国指定天然記念物 昭和11年12月16日指定)
七ツ釜鍾乳洞については大正9年編纂「七釜村郷土史」の中にも「洞窟」として「中浦北郷清水川に石灰洞あり」「所々に鍾乳石、石筍をのこす。夏期冷気を覚ゆ」と記載がある。
県に保管されている記録に、「昭和3年8月、河野新一元七釜尋常高等小学校長が職員と共に数回にわたり探検を試み、遂に洞口より500mの地点まで極め、更にその後同校訓導山口大三の実査によってこの奇勝は広く世に紹介された」とある。
本格的な洞内の探検が行なわれたことによって、「清水瀧」「踊ノ間」「高野狭」「大石柱」等洞内生成物の名称と説明が記載された資料が作られた。
写真 3 2 南蛮船来航地(県指定史跡 昭和16年1月17日指定)
昭和16年指定時の資料では「横瀬浦は宣教師によって治められる市民性社会としての政治社会史上の意義がある」と記している。
昭和35年頃から顕彰事業のための活動が始まり、昭和37年3月横瀬浦顕彰期成会が発足。同年11月、横瀬浦開港400年記念として来航記念碑、上町、下町、長崎甚左衛門門居宅跡碑、八の子島十字架塔(台座4×11m、高さ8m余)などが建立された。
この顕彰期成会を母体として昭和61年7月、横瀬浦史跡保存会が結成された。
平成2年3月、展望台、トイレ等を備えた横瀬浦史跡公園が完成し、平成16年5月、再整備の後、「横瀬浦公園」と改称された。
写真 4〜 6 3 中浦ジュリアン出生の地(県指定史跡 昭和43年4月23日指定)
天正遣欧使節「中浦ジュリアン出生の地」は、昭和42年、長崎県文化財専門員が中浦の現地を踏査し、「館(たち)」「御園(みその)」等の地名から領主の居宅跡を推定。中浦南郷字御園の指定地をジュリアン出生の地としたものである。
昭和57年2月、天正遣欧使節400年を記念して、帆船の帆と地球儀を形どった中浦ジュリアン顕彰碑が完成、この年から中浦郷では、毎年2月に中浦ジュリアン祭が開催されている。
平成14年2月、「中浦ジュリアン記念公園」が落成した。中浦ジュリアン像、資料展示室、芝生公園が整備され、彩色壁画でジュリアンの生涯を紹介している。
写真 7〜 9 4 西彼杵半島猪垣(ししがき)基点(県指定史跡 昭和43年4月23日指定)
西彼杵半島の脊梁を取り囲むように築かれた猪垣は享保年間、中浦の庄屋郡干右衛門の呼びかけで工事が始められたものといわれる。中浦北郷に残る基点標石には「享保七寅年」の文字が刻まれている。猪垣は「中浦村ほか所村の庄屋と農民が行なった農害対策の遺構として農政史上価値をもつもの」としてその基点が史跡として指定された。
写真 10〜 13 5 天久保遺跡(西海町指定史跡 昭和55年2月指定「天久保貝塚と館跡」から名称変更)
俗に「カイガラ畑」と呼ばれ、縄文時代晩期より弥生時代の貝塚、支石墓、箱式石棺や装飾品である管玉が出土している。天久保武蔵とのつながりで考えられている屋敷跡もある。