長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 656 函館海岸
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 656 函館海岸
〔画像解説〕
入り江になった波静かな海岸。函館山の東端、立待岬付近かと思われるが、正確な場所は不明(鞍掛岩?)。前景中央に人物が一人配され、その背後、ほとんど波のない海面に屹立する巨岩がいくつか。遠景には対岸の山の稜線が見える。
目録番号:2423 小樽の海岸風景
〔画像解説〕
『小樽市史』第1巻(昭和33(1958)年刊)所収の同写真には「立岩附近のアイヌ 明治七年頃」というキャプションが付けられている。
■ 確認結果
目録番号: 656「函館海岸」は、「入り江になった波静かな海岸。函館山の東端、立待岬付近かと思われるが、正確な場所は不明(鞍掛岩?)」と画像解説している。
次の目録番号:2423「小樽の海岸風景」のとおり、小樽市堺町の海岸にあった「立岩」だろう。
同じ写真が、平凡社「大日本全国名所一覧 −イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年初版第二刷発行の、283頁後志国に掲載されている。同解説は次のとおり。
石黒コレクションHPでは、「小樽堺町の奇石「立岩」前のアイヌ」撮影年:明治初年とある。
④ 後志国小樽郡堺町立岩 小樽の奇岩「立岩」は有幌の常夜灯近くの堺町にあった。この付近は北前船の好停泊地でもあったが、現在でも小樽観光の中心地になっている。明治10年ころ、撮影者不明。
「現在でも小樽観光の中心地になっている」との解説は、古写真の海岸や岩が現存しているということではない。現在は観光客が集まる五差路付近に変貌したという意味だろう。
小樽市HPには、次のとおりある。現在のメルヘン交差点角にある小樽海関所灯台(レプリカ)写真は、北海道・小樽、観光の街、坂の街から。
おたる坂まち散歩 第26話 赤坂(後編) 小樽海港博覧会
「前回紹介した住吉町の赤坂の下の海岸が埋め立てられたのは昭和6年ごろでした。…このときの埋め立て工事は、堺町にあった立岩から勝納川河口までの区域を市で埋め立てたもので、昭和3年1月に起工し、昭和7年8月に完了しました。総埋め立て面積が約3万坪という大規模なものでした。
明治42年に北防波堤が、大正10年に南防波堤が完成し、近代港湾となった小樽港は、小樽運河造成に続いて行われたこの埋め立て工事で、現在の臨海部の原型がほぼ形作られました。
現在、メルヘン交差点と呼ばれている観光客の集まる五差路付近は、この工事の前は、船が入る入り江で、入船澗(いりふねま)と呼ばれていたそうです。まさに入船という地名がふさわしい場所でした。
この入船澗が埋め立てられて土地ができたころ、札幌で北海道拓殖博覧会が開催されることになりました。…小樽市でも博覧会を開催しようという機運が商工会議所を中心に起こりました。…昭和6年新春には博覧会開催の計画が発表されました。名称は「小樽海港博覧会」。会場は現在のメルヘン交差点を中心とした埋め立て地約6700坪でした。
博覧会は同年7月11日から41日間開催されました。…」