「陸軍所轄地」の標石が浜平1丁目に残っていた

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「陸軍所轄地」の標石が浜平1丁目に残っていた

浜平1丁目1街区角の路地に陸軍の古い標石があると、御船蔵町橋本治郎氏から話を聞き、平成19年8月22日現地を訪ねた。場所は坂本外人墓地の上を立山へ行く車道の中間くらいに、中央タクシー本社と浜平中央ビルが建つ。ビル先から銭座へ下る石段があり、下ったちょうどビル敷地の南西端となる道角にこの標石があった。

16cm角、高さ80cm。刻面は1面のみ「陸軍所轄地」。えらく古めかしい。当時の軍施設の境界柱と思われる。ビルの敷地沿いに一周すると、すぐ左上の石段脇に傾いた無刻の同じようなこれはコンクリート柱があった。

実はこのあたりに「長崎要塞第二地帯標」が建っていた地図資料があり、昨年調査して研究レポートの第2集149頁で報告している。その報告は次のとおり。「中央タクシー」あたりと記載しているが、原爆中心地近くで被害があり、ほとんど標石類も残っていないと思い、実地確認をよくしてなかった。

2−G 銭座町か
浦上駅をはさんで、2−Eと斜め対面となる。金比羅山かと考えたが、次の風頭町からは県立東高の背後ピークしか見えない。ここは今水道タンクや多目的広場があり、戦時中は砲台や防空壕があった。しかし、地元の昔を知る人の話は、標石をこの金比羅山一帯で見たことはないと言う。
かえって銭座町の変電所や中央タクシーあたりに明治砲台の赤レンガ兵舎跡があり、原爆後、農地解放で畑となって今中央タクシーになっているらしい。位置的にその可能性は高い。

ところで今回見つかった「陸軍所轄地」の標石。少し谷間にあり、原爆でも倒壊しなかった。しかし、上半分は熱線を浴びているような形跡があり、少し黒ずんでいるような感じがする。被爆遺構としてリストアップされてないなら、詳しい調査をお願いしたい貴重な標石と考える。