長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5271 雲仙稚児の滝
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5271 雲仙稚児の滝
■ 確認結果
目録番号:5271「雲仙稚児の滝」は絵葉書(長崎地域)。「明治後期から大正初期(1900年前後)の雲仙公園の風景。手彩色の絵葉書である。雲仙公園内の滝を撮影したもの。詳細な場所は未定」と画像解説しながら、タイトルは「稚児の滝」となっている。
雲仙の「稚児の滝」とは、別所ダム下流の「稚児落しの滝」のことと思われるが、この滝は行きにくい。滝の姿が違うし、写真撮影が簡単にできない滝のようだ。
雲仙で昔から有名な滝は、「一切経の滝」である。小地獄の国民宿舎「青雲荘」先の石門から下の谷へ下って行く。高さ7mほどの美しい滝。奈良時代の名僧「行基」がここで仏道修行をし、一切経(お経を一同に集めたもの)の経文を筆写したと伝えられている。
古写真と比べると、滝つぼからの落し口岩など変わっているが、洪水などで崩落し、形が違ってきたと考えられる。
その昔、修行の場であった「一切経の滝」周辺は、大正から昭和にかけて、欧米人の水浴場となった。「雲仙お山の情報館」に古写真が展示されている。石を組んで下流をせき止め、プールを作っていた。古写真に見られる石組みは、現在では全く残ってない。
古写真は次のHPを参照。 http://www.pref.nagasaki.jp/sizen/6unzen/41/41.htm
斎藤茂吉は、大正7年7月、胸部疾患の療養のため雲仙へ登り、「温泉嶽療養」の中には「幾重なる山のはざまに瀧のあり切支丹宗の歴史を持ちて」「露西亜よりのがり來れる童子らもはざまの瀧に水あみにけり」と歌い、後年まで「温泉岳はいい山だ」と記している。