長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
朝日新聞の先週2010年(平成22年)1月21日付長崎地域版「長崎今昔 長大写真コレクション」に載った”長崎港のパノラマ 優美さ まるで浮世絵”。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2185
パノラマとした3枚の古写真の左側、飽の浦恵美須神社を写した部分は、別の作品があるのに連結を明らかに間違っている。目録番号:1196「飽の浦からの長崎港(3)」か、または同じような写真の目録番号:2875「同(4)」となるのが正しい。
当日朝からすぐブログ記事にして、朝日新聞長崎総局と長崎大学附属図書館へ知らせていた。その訂正記事が上のとおり、きょう2010年(平成22年)1月28日付”長崎港のパノラマ 特定難しい撮影時期”(クリック拡大)となった。
三菱重工(株)長崎造船所史料館に展示している4枚組全景の写真を参考のため掲げる。
こんなことがないよう現地確認の徹底などを再三、苦言している。長崎大学附属図書館の古写真データベース管理体制に問題があろう。専門的な監修委員会を再び立ち上げ、全作品について正確な検証を早くお願いしたい。疑問がある作品は本ブログにより具体的に指摘している。
長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション① 明治7年の古写真集 長崎・熊本・鹿児島」2007年11月初版長崎文献社刊と、朝日選書862「龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港」2009年12月第1版朝日新聞出版刊の解説の疑問についてもこれまで述べている。
長崎さるく幕末編に続く英雄編の年ということで、この古写真集が長崎歴史文化博物館や長崎まちなか龍馬館などで、そのまま盛んに市販されている。間違いがわかった作品だけでも、早急に簡単な訂正記事をまとめた文書を添えて、在庫分は売ってほしい。
2009年12月10日付の目録番号:5378「眼鏡橋(1)」新聞記事の「後方左の高い山は彦山です」は、2010年1月7日付の訂正記事では『正しくは「三ツ山」でした』そうである。「烽火山」なのになぜ「三ツ山」となるのか、具体的に説明してもらわないと訂正記事にならない。