「ふるさと長崎市」の古写真考 P.86 ネズミ島と神ノ島海岸(神ノ島1丁目・明治20年代)
長崎市制施行120周年記念写真集「ふるさと長崎市」(長野県松本市(株)郷土出版社2008年12月刊)に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、掲載順は不同である。
懐かしき風景・街並み P.86 ネズミ島と神ノ島海岸(神ノ島1丁目・明治20年代)
〔写真説明〕
写真中央がかつて海水浴場として知られたネズミ島である。皇后島とも言い神功皇后伝説にちなむ島である。左手は小瀬戸側であるが、現在は島との間が埋め立てられて工業地帯と化している。写真右手は魚見岳でその裾には魚見岳台場跡が、左手の山裾には神崎台場跡が存在し、かつて異国船の警護にあたっていた。(提供:鎮西学院)
■ 確認結果
長崎港口のネズミ島(皇后島)を写した古写真だが、神ノ島海岸から撮影されたものではない。現地へ出かけて確認するとすぐわかる。神ノ島1丁目の神ノ島桟橋及び神ノ島教会のマリア像海岸岩場から写した現在の写真と比べてもらいたい。
山の形は違うし、説明した場所の位置があわない。
古写真は、神ノ島海岸の前面の島「高鉾島」から撮影されたと思われる。無人島で簡単に渡れない。平成18年12月にある調査があり、釣り船を仕立てて高鉾島へ行った。
「高鉾島の正体不明な台座石」を参照。 https://misakimichi.com/archives/140
その際、写しておいた状況写真があった。古写真は高鉾島の海岸砂浜から黄線の範囲を写しているようだ。高鉾島は殉教の島。ネズミ島とともに外国人の遊歩場となったのでないか。
古写真の右手は、「魚見岳」の裾ではなく「天門峰」の裾。「神崎台場」は長崎港口の「魚見岳台場」の対岸にあった。天門峰の南端となるので2つの台場跡とも写ることはない。女神大橋はこの港口に架かった。
ネズミ島の左手は、小瀬戸の集落と上は小瀬戸遠見番所があった山で、現在はみなと坂団地ができている。ネズミ島の奥に写っている山は、右側から障子岩山(西泊ヶ丘)・西泊中の鞍部・帆掛山と思われる。
マリア像海岸岩場へ再び行くと、高鉾島へ突き出た防波堤があった。先端から大きく写したのが後ろの2枚。中央の鞍部にある白い建物の長崎市立西泊中学校が確認できるであろう。