「ふるさと長崎市」の古写真考 P.96 茂木街道の水車(明治30年代)
長崎市制施行120周年記念写真集「ふるさと長崎市」(長野県松本市(株)郷土出版社2008年12月刊)に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、掲載順は不同である。
懐かしき風景・街並み P.96 茂木街道の水車(明治30年代)
〔写真説明〕
茂木街道茂木側の道中にあった水車小屋。茂木は長崎に運ばれる農水産物の集荷地であったが、水車小屋は玄米を精米する重要な工場であり、製粉にも使われた。左に街道が見えるが、水車小屋は街道のそばにあったため旅人の絶好な休息場でもあった。明治初期の同じ水車の写真と比べて轍(ワダチ)が大きく、改良の跡がみえる。
■ 確認結果
「長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:365 茂木街道(1)・5250 茂木街道の水車」の項を参照。 https://misakimichi.com/archives/1521
田上の転石から明治県道を、河平川(若菜川の支流、黒橋近くで若菜川と合流)沿いに下る。アーチ式石橋「河平橋」が残る下方の河平川川岸に、2つの大きな水車小屋があった。
明治県道は、古写真の右側を行くので、写真に写らない。左側に街道の道のように見える上段は、切り拓かれた畑である。中段は水車を回す上流から引いた水路、水車の下が河平川の流れとなる。誤認されているので、位置図を作成した。
明治34年測図国土地理院旧版地図でもこの場所に水車小屋が表示されている。
2つの水車小屋跡はビニールハウスや梅畑となって、水路の跡も今はわからない。