釛山恵美須神社 長崎市飽の浦町
バス停は「飽の浦神社前」下車。菱重興産ビルの裏となる。この神社が「釛山(こがねやま)恵美須神社」である。「恵美須町」の町名の由来になった恵美須様を、江戸初期に恵美須町から移して祀られた。
神社の前は海で、有名な「恵美須波止」があり、「金島(こがねじま)」という島があった。明治の初め、長崎製鉄所(現在の三菱重工(株)長崎造船所)の建設によって、姿を消した。
神社へ行くと平成21年1月、380年祭を記念して立派な説明板が設置されていた。
2006年江越先生作成資料「女神大橋周辺巡り」による神社の説明は次のとおり。
恵美須神社
寛永10年(1633)に小柳五郎左衛門という人物が、恵美須町の恵美須様を移して祀ったもので、浦上村渕でただ1つの神社(江戸時代、渕神社は万福寺といい弁天様を祀っていた)として信仰された。当時は神社の前はすぐ海で、海中に石灯籠が立っていたが、埋め立てられた折に取り払われた。また、沖にあったこがね島は、一時期刑場であったらしく伊藤小左衛門も処刑されたといわれる。
五箇所商人建立石灯籠 この神社が五箇所の商人の援助を受けていたことを示している。
渕村役場建築費寄付人名の石碑 神社のとなりに明治31年10月まで渕村役場があったが、境内に役場の建築費を寄付した人々の名前を彫った石碑が立っている。目に付くのは、岩崎弥太郎の嗣子で明治29年に三菱3代目を受け継いだ久弥が百円を寄付して筆頭者になっていることである。