長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 51 飽の浦恵美須神社(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 51 飽の浦恵美須神社(1)
目録番号:1694 長崎稲佐海岸(2) (関連作品) 目録番号: 546 飽の浦恵美須神社(2)
■ 確認結果
長崎市飽の浦町の「恵美須神社」を撮影した古写真の3作品。神社越しに長崎港を見ている。
長崎市立博物館「長崎学ハンドブックⅠ 長崎の史跡(北部編)」平成14年刊の74頁による神社の説明は次のとおり。
神社は「長崎名勝図絵」にも描かれている。境内に現在「恵比須波止」の標石が残る。
152 釛山恵美須神社 (所在地:長崎市飽の浦町)
釛山恵美須神社は、最初、恵比須町居住の町人某宅に祀られていたが、寛永10年(1633)現在地へ移された。以後、諏訪神社の末社に列し、五箇所商人をはじめ多くの人達の信仰を集めた。旧村社。かつて同社の全面の海中に黄金島とか裸島と呼ばれた島があった。「御用留」には万延元年(1860)この黄金島に船舶標識のための鉄製の灯籠が長崎製鉄所によって製作されることになり、…以下略
目録番号: 51「飽の浦恵美須神社(1)」と目録番号:1694「長崎稲佐海岸(2)」とも日下部金兵衛アルバムらしい。両方とも神社裏の同じ高台から撮影している。
目録番号:1694には赤鳥居と社殿が写っているので、撮影年代が違う。この写真は英文で「長崎、稲佐の景色」と題されているため、タイトルが「長崎稲佐海岸(2)」となっているようだ。
現在の社殿の裏の高台は、「全造船機械三菱長船分会」の組合事務所となっている。ここから写した景色は上のとおり。古写真の左側は水の浦や大鳥崎の尾根、背後の霞む山並みは金比羅山、中央の三角の山が健山、右側は烽火山と武功山となることを確認した。
実際は、社殿向きがまだ左に寄っているので、組合事務所の先のビル「菱重興産第二別館」あたりにあった続きの岩場から撮影されたと思われる。ビルは岩場を削って建てられている。