長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5653 時津の家並み
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5653 時津の家並み
〔画像解説〕
大村湾に接する西彼杵郡時津村とその港。手前は密集した浦郷で、港の入り江を挟んで対岸は崎野の海岸から人家に至る。大村との往還にはこの港が頻繁に利用された。背後の丘陵地は、長与の岡郷、嬉里郷に続く一帯で、後方の高い山は、琴ノ尾岳。
■ 確認結果
2008年12月20日付朝日新聞長崎地域版「長崎の今昔 長大写真コレクション」に掲載があった古写真。
1886年ごろに撮影されたとされる時津村(現在の時津町)の家並み。明治の終わりに塩田は田畑に変わり、海岸は埋め立てられ、今では工場や学校、住宅地に姿を変えた。
HPや新聞記事は、密集した「浦郷」の家並みと港を写し、奥に「市場」や「八幡神社」があると説明している。撮影場所は記していない。どこだろうか。
当時の集落の全体と港が、西から東方へ見渡されるある程度の高台。国道交差点から時津川の西岸へ現在の「新地橋」で渡る。時津町立時津図書館の上手の高台、戦没者や原爆死没者の慰霊碑のある公園が、古写真の撮影場所と思われる。
この公園は、宝永5年(1628)から浦郷北泊「稲荷大明神」が祀られ、地区の守護神となっている。公園片隅に現在も赤鳥居があり、古い石祠や灯篭が残っている。ゲートボール場や学童保育「つくしんぼ」の運動場として利用されている。
古写真の奥の木立は、拡大写真のとおり。右とすると「八幡神社」。左となると「萬行寺」である。八幡神社はムクノキが残る。左側にもイチョウの大木があったが、枯れた。
参道入口の「ともづな石」は、もとは70m位離れた中通りの現「高田測量・土地家屋調査事務所」前にあった。区画整理事業で移されている。
「市場」とは地名。茶屋(本陣)角の県道標石は、裏面に字名で「時津村字市場」と刻んでいる。
データベースの画像解説では「後方の高い山は、琴ノ尾岳」と説明している。間違いであろう。
左上鞍部のところが「扇塚峠」。写真に写っている右の高い山は「仙吾岳」(標高375.6m)と丸田岳方面。「琴ノ尾岳」(標高451.4m)は、左方の奥となるので古写真に収まっていない。
現在の写真では、大きなアンテナが目印となる山である。