長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5137 長崎西山水源地(3) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5137 長崎西山水源地(3)
目録番号:5138 長崎西山水源地(4)
目録番号:5135 長崎西山水源地(1)
■ 確認結果
日本近代水道の先駆けとなった長崎水道。「本河内高部水源地」は明治24年(1891)、「本河内低部水源地」は明治36年(1903)、「西山水源地」は明治37年(1904)に次々完成した。
関係古写真について、次のとおり「水源地名」のタイトルと説明間違いが見られる。
目録番号:5137 長崎西山水源地(3)
タイトルは、「長崎西山水源地」だが、説明は「明治末年の本河内水源地」の絵葉書とある。この古写真は、本河内高部水源地の浄水場から撮影し、下に低部水源地が満水で見える。左側の尾根は伊良林の高台、遠くの山は対岸の立神山が高く写っているようである。
したがって、この古写真は絵葉書の説明どおり、「長崎本河内水源地」が正しいのではないか。
目録番号:5138 長崎西山水源地(4)
以前は、この古写真のタイトルが「長崎本河内水源地」となっていた。指摘により「長崎西山水源地」と訂正された。今、考えると上の目録番号:5137と、古写真を入れ間違って整理されているのが、その原因と思われる。
市街を向いた場合の「本河内水源地」と「西山水源地」の景色の違いは、高度差と右尾根張り出しや傾斜具合、遠く見える山が立神山か、風頭山かが主なものとなる。
決定的なのは、この古写真に「円錐屋根の塔」が写っている。同じ塔があったのは「西山水源地」の浄水場と思われる。
目録番号:5135 長崎西山水源地(1)
浄水場の「円錐屋根の塔」が、同じものか見てもらうため、建物の古写真を掲げる。同じであれば、絵葉書の説明どおり、前の目録番号:5138の古写真は「西山水源地」となる。
同水源地の浄水場は、昭和55年(1980)本河内浄水場へ統合され、跡地は河川公園となっている。そのため背景の山の確認写真は、堰堤の上から写した。