対馬藩主宗家墓所  対馬市厳原町西里

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対馬藩主宗家墓所  対馬市厳原町西里

厳原港から国道382号線により厳原の町の中央通りに進み、今屋敷の交差点から左折して対馬市役所の方へ行くと、この道先が「万松院」への参道となる。
寺の右手山腹に対馬藩主宗家墓所があり、百雁木(ひゃくがんぎ)とよばれる132段の自然石の大石段を登って行く。樹齢数百年の大スギが脇に立つ。
最後の写真は、金石城跡の復元された庭園から見た万松院。巨樹、石橋の項も参照。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

対馬藩主宗家墓所  史跡(国指定)

指定年月日 昭和60年2月18日 所在地 下県郡厳原町大字厳原西里字金石ほか
所有者 万松院 
清水山南麓の宗家の菩提寺である天台宗万松院を中心に、山腹の宗家歴代の墓地を含む広大な地域である。万松院は藩主義智(宗家第19代)を弔って、元和元年(1615)にその法号をとって創建された。
墓地は、桃山様式を残す山門のわきから、百雁木(ひゃくがんぎ)とよばれる132段の自然石の大石段を登った所にある。樹齢数百年の大スギが茂り、上段には義智以来の14人の藩主とその正室ら、中段には積極的な朝鮮外交で有名な室町期の貞国ほか、下段には側室などが眠る。
対馬藩は十万石の格式であったが、壮大な墓地は数十万石の大藩なみといわれている。