祥雲寺の山門(石造)   壱岐市郷ノ浦町牛方触

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祥雲寺の山門(石造)   壱岐市郷ノ浦町牛方触

郷ノ浦町の中心街から勝本方面へ国道382号線により同町北はずれの「柳田」交差点まで行き、左折して猿岩へ向かう県道59号線に入ると、まもなく右手に「祥雲寺」入口を示す石柱があるので、寺まで坂を下って行く。
現地説明板は次のとおり。

市指定 有形文化財   祥雲寺の山門(石造)

所在地 壱岐市郷ノ浦町牛方触904 祥雲寺  指定 昭和53年3月19日
寺院の山門としては特異な意匠である。これがどのような考えによって設計されたのかは、伝えも資料等もなく不明であるが、明治42年(1907)に、祥雲寺5代、蓬莱広信和尚(昭和17年没)によって建てられている。当寺ではその翌年に江湖会(こうこえ 曹洞宗で四方の僧侶並びに檀信徒を集めて修行を行うこと)が催され、これを機に建立されたものといわれている。
石工は布気(ふけ 現 勝本町百合畑触)の茶屋本初蔵(慶応元年生、大正4年没)で、初蔵44歳の年の制作である。用石は俗に布気石と呼ばれる玄武岩である。
初蔵の作品はほかに柳田触の忠魂碑、住吉神社の石垣、水神社の石燈籠などがある。
ところで当寺のような石燈籠の上に鯱を載く山門は島内にはなく、おそらく広信和尚の考案であったろうが、これを彫刻した初蔵は、自身の代表作をもって応え、独創性に富んだ山門を築いたのである。それは明治期における壱岐の石工の技術の高さを示す逸品を残すことともなった。
初蔵は50歳で世を去った。惜しまれた死であったと伝えられている。
山門の総高 4m75cm
平成19年5月     壱岐市教育委員会