富士見公園で長崎要塞地帯標が見つかる

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富士見公園で長崎要塞地帯標が見つかる

明治32年陸軍省建立「長崎要塞地帯(区域)標」のこれまでの調査結果は、次を参照。
https://misakimichi.com/archives/54
平成17年12月から佐世保市の高橋輝吉氏と合同調査を行い、現在までの次のとおり標石の現存を確認している。(第一地帯標「飽の浦峠」分も含む)
第一地帯標 確認 7本  第二地帯標 確認 7本  区 域 標 確認 10本 計 24本

調査の資料となった「長崎要塞地帯略図」の中、第二地帯標「2−E」の地点は西高や活水高あたりを考えたが、不明のまま次の「2−F」浦上駅とも爆心地に近く、もう標石は現存しないだろうと思っていた。
先日2008/8/19、ブログ記事を見た [ zarakiri ] 氏から思わぬコメントをもらった。
「同じような地帯標は市内の富士見公園にもあります。穴弘法の裏山でも変わったものが見れると思います 」

ありがたい情報である。さっそく出かけた。西城山通りの富士見町「富士見公園」正面から、園地の周りを左方へ車道か遊歩道で行く。城栄町側公園入口の石段脇の植え込みの中に標石はあった。
「陸軍省」「長崎要塞第三?地帯標」「第五十五号」「明治三十二年六月十日」を確認した。
「2nd.Z」と刻みながら、下部漢字が「第三地帯標」としか読めない。番号の続きも悪い。要塞地帯法がたびたび改正され、標石の転用は多く見たからいいとしょう。高橋氏が喜ぶであろう。

この標石は、移設されたことも考えられる。昔、このあたりの道路を通り、どこかで不思議な石柱を見た覚えが、私にもかすかに蘇えった。
「穴弘法の裏山の変わったもの」とはどんなものだろうか。 金比羅山の高射砲陣地防空壕跡などは見ている。要塞地帯標などであれば、ぜひとも場所など詳しく教えていただきたい。