宮崎県」タグアーカイブ

竹浜用水路  川南町川南 ( 宮崎県 )

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竹浜用水路  川南町川南

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。県道40号により尾鈴山の方へ向かい、名貫川に架かる和田橋先の下竹浜公民館近くまで行く。県道の左側、名貫川の右岸沿いに竹浜用水路が流れる。水路を辿ると、県道や尾鈴サンロードや東九州自動車道高架下をくぐり、農村公園があった。
この下の河原に地区内こどもの水泳場があり、水路を小橋で渡って下る。水路の上流には隧道部分も見られた。取水堰はすぐ近くと思われるが、そこまでは辿らなかった。
用水路はあまりコンクリート化されておらず、昔の石垣のままの護岸が多く残る。貴重な用水路と思われる。

竹浜用水路 たけはま
(児湯)川南町 名貫川(右岸) 用水路 約4㎞ 享保3(1718) 宮崎県歴史の道調査報告書p40 現役/石積部分が大半 小規模 1 C    

野々崎橋  日向市東郷町仲深 野々崎 ( 宮崎県 )

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野々崎橋  日向市東郷町仲深 野々崎

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」宮崎県の石橋によるデータは、次のとおり。国道446号牧水公園の約500m手前。現橋の上流側に見える。

№200  野々崎橋

東郷町仲深 野々崎(ののさき)
町指定有形文化財
西の内川
橋長:20.0m  橋幅:4.85m  径間:7.27m  拱矢:3.64m
架設:明治44年3月
石工:衛藤精一
(旧・県道尾崎細島港線、明治42年架設?)
国道446号線、若山牧水記念館より約500m東進。北側旧道

亀ノ井堰の逆サイフォン式水路  日向市東郷町坪谷 ( 宮崎県 )

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亀ノ井堰の逆サイフォン式水路  日向市東郷町坪谷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。国道327号日向市東郷町鶴野内交差点から国道447号に入り、牧水公園の先、若山牧水生家前まで行く。牧水の出身校、坪谷小学校跡の坪谷神社の案内があるので、国道を少し進む。
左の坪谷川の橋を渡って、坪谷神社鳥居前を過ぎ、さらに上がって行くと、車道と交差する逆サイフォン式水路の遺構がある。場所は日向市文化財係に確認した。
地元の話によると、現在この部分の水路は使われておらず、水路を変更し上の市道下や川は橋内をC管で通しているらしい。

亀ノ井堰の逆サイフォン式水路 かめの
日向市 東郷町坪谷〜下三ケ 逆サイフォン式水路 嘉永3(1850) 市教委 木管→C管に変更 道路を通すために造られた逆サイフォン水路→川と交差するために逆サイフォンにすることはあっても、道路と交差するための逆サイフォンは稀 3 C

和田越の切通し  日向市東郷町坪谷 ( 宮崎県 )

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和田越の切通し  日向市東郷町坪谷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。国道327号日向市東郷町鶴野内交差点から国道447号に入り、坪谷の牧水公園先、若山牧水生家前まで行く。
日向市文化財係に確認すると、和田越の切通しとは、ここから右上手の高台へ上がると自然石に刻まれた牧水歌碑があり、このあたりの鞍部が切通しである。山上には和田越稲荷が祀られている。

和田越の切通し わだのこし
日向市 東郷町坪谷 切通し 江戸期 市教委 保存状態良好 山陰村(延岡藩)と坪谷村(天領)の村境にある/庚申塔が残る 2 C

牧水公園・若山牧水生家  日向市東郷町坪谷 ( 宮崎県 )

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牧水公園・若山牧水生家  日向市東郷町坪谷

国道327号日向市東郷町鶴野内交差点から国道446号に入り南西へ進むと、坪谷地区の国道沿い左に牧水公園と若山牧水記念文学館がある。サイト「グルネット宮崎」による説明は、次のとおり。
牧水公園前から国道をさらに約100m進むと、若山牧水生家と歌碑がある。

牧水公園

若山牧水を記念して作られた「牧水公園」は、若山牧水が生まれ育った生家の直ぐ前、坪谷川を挟んだ向かい側の小高い丘陵地にあります。
東郷町坪谷地区は、若山牧水の短歌にも詠われた「尾鈴山」の北側、日向市の西の山間にあり、今でも当時と変わらない懐かしい風景が残っているところです。
周囲を山々に囲まれた牧水公園は、春に咲くツツジの花など自然を満喫しながら散策、頂上にある展望台からは若山牧水の生まれ育った坪谷地区を一望できます。

園内には多目的研修施設(ふるさとの家)を中心に貸コテージ(木造2階建10棟)、水車小屋、炭焼窯、ふるさとの小川、多目的広場、河川プール、草スキー、テニスコート、パターゴルフ、ちびっこ広場、つつじ園、無料休憩所の牧水庵など広い敷地に多くの施設があります。…

若山牧水記念文学館

牧水公園内に新しく建設された若山牧水記念文学館。2005.4.1オープン
若山牧水記念文学館
若山牧水記念文学館は県産材のスギやヒノキを用いた木造平屋で、牧水生誕120年に合わせ新築されました。記念文学館は3つの展示室を設け、第1展示室に直筆の掛け軸や原稿、愛用品などを展示。第2展示室では東郷町出身の詩人高森文夫や若山牧水賞受賞者を紹介。また企画展示室では牧水賞とその受賞者について紹介しており、現代短歌の世界を感じることができます。

利用案内
開館時間:9時から17時(入場16時30分)
休館日:月曜日、年末年始
入館料:高校生以上300円 小中学生100円
電話:0982-68-9511(若山牧水記念文学館)

新町台場・跡  日向市美々津町新町 ( 宮崎県 )

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新町台場・跡  日向市美々津町新町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。国道10号美々津大橋を渡り美々津重要伝統的建造物群保存地区へ下る。上町筋の地区はずれにストアーがあり、後ろ側に八坂神社がある。
神社左手に最近整備された津波除け高台へ上がる石段があり、石段途中に見られる左側竹藪の土塁が奥まで長く続き、ここが新町台場・跡と、日向市文化財係に確認している。

新町台場・跡 しんまち
日向市 八坂神社・横 台場(土塁) 文久2(1862) 市教委 山中に土塁が残る(ブッシュがひどい) 4 C

美々津の道路元標  日向市美々津町石並地区と新町地区 ( 宮崎県 )

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美々津の道路元標  日向市美々津町石並地区と新町地区

美々津の道路元標は、次のHPを参照。 http://nanjaroka.jp/siseki/mimitu/douhyou/index.html
刻字の説明があった。

美々津道路元標

美々津町石並地区と新町地区の境界は海岸に面し、そこを通る旧道に美々津道路元標が立っています。
裏 面:「明治三十五年七月建設」
正 面:「距宮崎元標拾参里参拾四町拾参間参尺」
右側面:「都農へ貮里貮拾丁拾七間貮尺」
左側面:「距大分県管轄境拾五里参拾四町貮拾4間」と刻字されている。
美々津には明治4年(1871)から同6年1月までの短い期間でしたが、美々津県庁がおかれ、さらに港町として栄えたことから豊後街道の重要な拠点であったことが伺える。

上町筋が豊後街道ですが、大正時代までの豊後街道は、宮崎〜延岡間すらも道幅はわずか2m。現在の私たちの思う道路とはまったく異質のものであったのです。

日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区  日向市美々津 ( 宮崎県 )

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日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区  日向市美々津

日向市HPの歴史・文化による説明は、次のとおり。

日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区

伝統の文化と街並みが残る美々津神武東征御船出の地として広く知られている美々津の町には、おきよ祭りなど、お舟出の地にふさわしい多くの伝承行事が残されています。その美々津の河口に注ぐ、約70キロの耳川は、九州山脈を東西に蛇行する深い渓谷に育まれながら、四季の香りにつつまれたすばらしい景観と、その流域に生きる奥日向の人々のおりなす風物詩とともに、古戦場として今なお秘められた足跡を残しています。そして、江戸時代から明治時代に全盛をきわめ、日向(宮崎県)と京阪神との経済、文化交流の拠点であった美々津の町並みは、その河口にあります。
廃藩置県時代の美々津県庁跡から一望できる美々津の町並は、虫籠窓や京格子をはじめ、通り庭風の土間に代表されるように、京都や大阪の町家造りを取り入れたものとして注目され、上町、中町、新町の通りは、今なお当時の面影を残しており、道行く人々の足をとめています。とくに、昭和55年日向市に寄贈された市指定文化財(伝統的建造物)「旧廻船問屋、元河内屋」は、昭和57年、国県の補助を受け、総工費約6,000万円をかけて安政2年(1855年)の商家「河内屋」に復元されたもので、日向市歴史民俗資料館としてに開館し、全国的に珍しい河口に面した港のある江戸時代の町家をしのぶことができます。

幸脇遠見・跡  日向市幸脇 ( 宮崎県 )

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幸脇遠見・跡  日向市幸脇

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。美々津大橋近く幸脇小学校手前の交差点から国道10号の旧道である右上市道に上がる。旧幸脇峠に遠見減圧槽があり、峠から少し下ると右手に狭い車道が、山を巻きながら上がっている。この道はKDDI美々津無線基地局に通じ、さらに上にNTTドコモ美々津基地局のアンテナ塔がある。
日向市文化財係に確認したところ、幸脇遠見・跡はこのNTTドコモ美々津基地局の場所と確かに聞いたが、地元の話は講座で訪ねたとき、この先雑木林に入り岩場のような所まで行ったという人もおり、付近を探したが、良くわからなかった。

幸脇遠見・跡 さいわき
日向市 幸脇 江戸期 市教委 4 C

牧島台場・跡  日向市日知屋 ( 宮崎県 )

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牧島台場・跡  日向市日知屋

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。JR日豊本線日向市駅東となる国道10号鶴町交差点から左折、細島港の方へまっすぐ進む。県道15号畑浦交差点に出て、すこし北上すると幡浦に牧島山のある半島入口がある。
愛宕神社を過ぎ、幡浦加圧ポンプ場前の左坂道へ上がり、住宅地内を通って車道を最奥まで進むと、岬の東端となる「松ヶ鼻」の案内標識がある。日向市文化財係に確認したところでは、ここから右下の磯場へ向かう山道の途中一帯に、牧島台場・跡の土塁や石垣が残っていると聞いた。
台場の西に繋がる(車道手前などにある)の塹壕は、西南戦争の時に、台場をより強固なものとするために薩摩軍が築いたと考えられていたが、これは広報ひゅうがの2012年6月号歴史探訪記事を参照。

牧島台場・跡 まきしま
日向市 牧島山・東端付近 台場(石塁) 文久2(1862) 市教委/現地解説板 山中に石塁や土塁が残る 岬の先端(延岡藩の牧場のあった場所を、幕末に台場として整備)/地元では「東九州屈指」と評価されている 3 B