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荒瀬井堰  中津市本耶馬渓町 ( 大分県 )

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荒瀬井堰  中津市本耶馬渓町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。資料は、水土里ネット荒瀬井堰から。中津市街から国道212号により本耶馬渓町まで行く。青の洞門近くの山国川に国道の耶馬渓橋が架かり、下流には8連のアーチ式石橋耶馬渓橋が架かる。この間にあるのが荒瀬井堰の取水口である。

井路はこれからすぐトンネルの連続となる。鮎帰りバス停から近くへ下ると、当時の状況が残る県史跡「川平間歩の跡」があるが、これは次記事とする。私が井路の現況を見てまわったのはその下流。撮影写真は、国道の樋田交差点から三光土田の松元整形外科の方へ入ったところ(県道102号沿い)と、まだ下流、三光臼木あたりの谷間平野部の水路である。

荒瀬井堰 あらせ
中津市 山国川 用水 長13㎞ 元禄2(1689) 市教委 一部石積護岸 施主: 中津藩主・小笠原長胤/樋田村から仏坂・臼木・諫山など北東28ヶ村約1000町歩の田の灌漑を目的とした用水路 3 C

下筌ダム・松原ダム  日田市中津江村・大山町ほか ( 大分県 )

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下筌ダム・松原ダム  日田市中津江村・大山町ほか

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。熊本県菊池市から国道387号などにより兵戸峠を越し大分県日田市へ出たため、途中の風景。1〜3枚目は下筌ダム、4枚目は梅林橋から見た松原ダム。

下筌ダム

下筌ダム(しもうけダム)は大分県日田市と熊本県阿蘇郡小国町にまたがる、一級河川・筑後川水系津江川に建設されたダムである。

国土交通省九州地方整備局が管理をする国土交通省直轄ダムで、高さ98.0メートルのアーチ式コンクリートダムである。1953年(昭和28年)6月の昭和28年西日本水害による被害を受け、筑後川水系治水基本計画の一環として下流にある松原ダム(筑後川)と同時に建設された特定多目的ダムであり、筑後川の治水と日田市への利水、水力発電を目的としている。また、菊池川水系とトンネルによって貯水を融通している。ダム建設に伴って繰り広げられた日本最大級のダム反対運動・「蜂の巣城紛争」の舞台としても知られている。ダムによって形成された人造湖は、蜂の巣城紛争にちなんで蜂の巣湖(はちのすこ)と命名された。

松原ダム

松原ダム(まつばらダム)は大分県日田市、一級河川・筑後川(大山川[1])の本川上流部に建設されたダムである。

国土交通省九州地方整備局が管理を行う国土交通省直轄ダムで、高さ82.0メートルの重力式コンクリートダムである。1953年(昭和28年)6月の昭和28年西日本水害による深刻な被害を契機に、筑後川水系治水基本計画に基づいて上流の下筌ダム(しもうけダム。津江川)と同時に建設された。筑後川の治水、福岡市をはじめとする福岡都市圏への利水、及び、水力発電を目的とした特定多目的ダム。ダム建設に際して起こった「蜂の巣城紛争」は日本最大級のダム反対運動としても知られている。ダムによって形成される人造湖は、地元の特産であるウメにちなんで梅林湖(ばいりんこ)と命名された。