長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5517 対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:5517 対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)
〔画像解説〕
大波止から新地、大浦海岸通り、松ヶ枝橋、南山手、小曽根、浪の平、古河町に至る3枚綴りのパノラマ写真。中島川変流工事が終わり、新大橋、梅香崎橋、松ヶ枝橋がすでに架設されているので、明治20年(1887)代後半の撮影。1枚目は、左側に海から見た出島の全景、中央に新大橋、新地と続き、梅香崎まで。2枚目は、梅香崎から南山手ロシア領事館付近まで。居留地の中心部が写されている。3枚目は、南山手居留地中心部から南端を越え、古河町まで。南山手居留地の南端が写されている。
目録番号: 987 飽の浦からの汽船と南山手(1)
〔画像解説〕
飽の浦から長崎港と対岸の南山手を望む写真である。対岸の海岸側は浪の平町、小曽根町、松ケ 枝町である。鍋冠山の下腹にはロシア領事館等の洋館が見える。左の団平船による艦船への石炭積み込み風景は珍しい映像である。
■ 確認結果
目録番号:5517「対岸から見た長崎港パノラマ(3枚組)」の右側3枚目は、次の目録番号: 987「飽の浦からの汽船と南山手(1)」と同じ写真であることだけ、指摘しておきたい。
パノラマ(3枚組)の1枚目と2枚目の写真は、長崎大学データベースでは見当たらない。
目録番号: 987「飽の浦からの汽船と南山手(1)」は、次の記事を参照。横浜開港資料館所蔵写真。 https://misakimichi.com/archives/1590
撮影場所は「飽の浦」からではなく、岩瀬道町の現在、三菱重工(株)長崎造船所本館ビルが建つ「身投崎」の先端高台あたりからと思われる。
三菱構内は立ち入り禁止。現在の写真は、近くの適当な場所から撮影している。