九州(沖 縄 県)」カテゴリーアーカイブ

潮 汲 川  那覇市首里金城町2丁目 ( 沖縄県 )

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潮 汲 川  那覇市首里金城町2丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。首里城公園へ行く県道29号松川交差点から右折する市道により、金城交差点まで進む。ファミマ前から左折、寒川緑地大カーブまで登り右下道へ下ると、金城石畳道への交通広場(無料駐車場)がある。
交通広場の約50mほど手前、仲盛宅角から下へ下る坂段があり、左側に「潮汲川」の石積井(湧水)が見える。現在は道石垣が崩れる恐れあり、通行止め区間となっていた。所在図参照。

潮汲川 ウスク・ガー
那覇市 石積井(湧水)(半月型に積まれた3段の石垣) 不明 市史跡 市教委/WEB 屋根等の付加物を撤去し、昔の姿に近づけた 水量が豊富で古くから地域の飲料水となり、溢れ出る水は斜面の裾に広がる水芋田の灌漑用水となっていた/斜面をL字型に削り、半円型に垂直に掘り下げた構造 2 C

加 良 川  那覇市首里儀保町 ( 沖縄県 )

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加 良 川  那覇市首里儀保町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。首里城公園へ行く県道29号山川交差点から、県道28号に入り桃原交差点の先まで進む。県道に架かる橋下流側に「加良川」の洞井(湧水)が見えるので、写真2か3枚目の下り口から一周できる。

加良川 カラガー
那覇市 洞井(湧水) 1759年 市史跡 市教委/WEB 自然の洞穴から出る水をせき止めたもの/巨木の根が特徴 1 −

佐司笠樋川・世果報御井小  那覇市首里桃原町 ( 沖縄県 )

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佐司笠樋川・世果報御井小  那覇市首里桃原町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。首里城公園へ行く県道29号山川交差点から、県道28号に入り桃原交差点近くまで進む。尚家の松山御殿跡の敷地一部がレストラン「ラ・フォンテ」となっている。
レストラン左側の市道を上がると、尚宅正門に案内板があり、坂を少し上がった先から右奥まで行く。フェンス門内の左手に「佐司笠樋川」、反対側から右手に道下をくぐって回り込むと、「世果報御井小」がある。
「世果報御井小」は、特に案内板や説明板がなく、どこかわかりにくいから注意して探す(写真14,15枚目の半円形泉水)。

佐司笠樋川 さしかさヒージャー
那覇市 <松山御殿> 石積井(湧水)(下降通路の両側に3段の石垣) 1477-1526年 WEB 円筒状に積まれた「あいかた積み」のヒージャー林の中に埋もれている 1 C

世果報御井小 ユガフウ・ウカグヮー
那覇市 <松山御殿> 石積井(湧水) 15世紀? WEB 佐司笠樋川の隣にある小型の泉水 1 −

崇元寺公園の石門とガジュマル  那覇市泊1丁目 ( 沖縄県 )

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崇元寺公園の石門とガジュマル  那覇市泊1丁目

現地説明板は、次のとおり。那覇空港から国道58号線を北上し、泊交差点から県道28号へ右折して約1Kmの県道沿いにある。ガジュマルは、幹周12m、樹高10mほど。

国指定重要文化財 建造物    昭和47年5月15日 指定
旧崇元寺第一門(きゅうそうげんじだいいちもん)及び石牆(せきしょう)

沖縄県指定有形文化財 彫刻   昭和30年1月25日 指定
崇元寺下馬碑(そうげんじげばひ)

崇元寺は臨済宗の寺で山号を霊徳山(れいとくざん)といった。王府時代の国廟(こくびょう)で天孫氏(てんそんし)をはじめとする歴代の神位が安置され、冊封使(さっぽうし)が来た時には新王冊封に先立って先王を祀る諭祭(ゆさい)が行なわれた。かつて崇元寺は国宝に指定されていたが、先の大戦で正廟をはじめとする木造建築物はすべて焼失した。
第一門及び石牆は、正面中央の切石積み三連の拱門(きょうもん)(アーチ門)とその左右に延びる両掖門を備えた琉球石灰岩のあいかた積みの石垣であり、沖縄の石造拱門の代表的なものである。
石門の東に立つ石碑が下馬碑で、戦前は西にも同じものがあり、国の重要美術品に指定されていた。表はかな書き、裏は漢文で、この碑のところから下馬することを命じている。また、碑銘に「大明嘉靖(だいみんかせい)六年丁亥(ひのとい)七月二十五日」とあり、この年が1527年(尚清1年)にあたるので 崇元寺の創建はこの頃ではないかと考えられている。

平成2年3月   沖縄県教育委員会  那覇市教育委員会

番屋跡(遠見台)  粟国村西 ( 沖縄県 )

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番屋跡(遠見台)  粟国村西

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。粟国村役場から県道185号に続く道を、粟国島西端の「筆ん崎」(マハナ展望台)に進む途中の高台にある。
画像提供は、粟国村観光協会。

番屋跡(遠見台)
(島尻)粟国村(粟国島) 遠見台、火番盛 高さ1.5mほどの石垣上に低い盛土がのる構造 1644年以降 村史跡 WEB/現地解説板 保存状態良好 先島諸島の火番盛群とは別系列の逢火台(異国船等を見た場合は、ヒータティヤーから松明で慶良間諸島に知らせた)/島で一番高い海抜96mの丘上 1 B

現地説明板は、次のとおり。

史跡 番屋跡(遠見台)
この場所は島で一番高い海抜96メートルの高台にあり、昔は番屋遠見台として異国船等が近海を通るときに、近くのヒータティヤーからタイマツで狼煙をあげ、慶良間諸島に告げ首里王府に知らせた。
指 定 昭和59年9月14日
指定者 粟国村教育委員会