江戸期のみさき道 (往路前半)」カテゴリーアーカイブ

突起した大なる石は、上戸町山中の「弁慶岩」

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突起した大なる石は、上戸町山中の「弁慶岩」

長崎医学伝習所生関寛斎「長崎在学日記」は、戸町峠(二本松神社)まで来て、次のとおり記している。
「峠二路ヲ隔ルコト一丁許ノ処二大ナル石突起シ、峠ヲ抜クコト二十間許 殆ト人口ヲ奪フ」

「みさき道」は二本松から左前方の九州セルラー電話のアンテナ塔を目指す。ここが「弁慶岩」の上部である。今は木立が大きく伸び、蔦が岩全体を覆って山としか見えず、これが岩峰であるとは知らない人が多い。当時はさぞ戸町方面から眺めると目立った岩峰であったろう。しかし、不思議なのはこの岩が「長崎名勝図絵」巻之二、三で全然紹介されていないようである。寛斎さえ感嘆しているのに、何か特別な理由はないだろうか。

長崎バス「弁慶岩バス停」から上り、バイパス弁慶岩橋のガード際から岩の下部に行く。白髭神社など祀られ、岩自体は30mほどある垂直岩と思われる。手前の岩の途中まで参道があり、熊野権現大明神の洞穴があって、ダイヤランドと八郎尾根が望見できた。

日記は二本松山中道塚の手前あたりの道から見た描写。「みさき道」は白髭神社は通らず弁慶岩を東へ回りこみ、山中の道塚に従い弁慶岩橋ガード下から戸町の谷へ下り、小ヶ倉入口(ダイヤランド)へ向かう。