九州(薩南諸島)」カテゴリーアーカイブ

荒木・中里遊歩道  喜界町大字荒木・中里 ( 鹿児島県 )

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荒木・中里遊歩道  喜界町大字荒木・中里

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。花良治集落の県道619号へ出て、喜界島の南部、荒木集落入口まで行く。県道沿い左手に「荒木・中里遊歩道」の案内板がある。
すぐの分岐は右上へ進むと、荒木漁港(写真12枚目まで)に出る。その先の東屋広場から海岸沿いの遊歩道が続いているが、私は時間の余裕がなく、荒木側からと中里側からの一部しか歩いていない。中間あたりに高い岩場下を通る遊歩道スポットがあるようだ。

荒木・中里遊歩道
長い歳月にわたって波しぶきにうたれ、いろいろな形をした珊瑚礁ある遊歩道。島人は「夕日の散歩道」とも呼び大島本島を望み、落日の金色で染められた景観は感動的なものがある。
また、年中釣り人のたえない島随一の大物が釣れる場所である。

ガジュマル巨木  喜界町大字手久津久 ( 鹿児島県 )

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ガジュマル巨木  喜界町大字手久津久

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。花良治集落の県道619号へ出て、喜界島の南部、手久津久集落まで行く。県道沿いに「ガジュマル巨木」の案内板があるので、集落の山手へ入る。

ガジュマル巨木(手久津久集落)
喜界島には数多くの神秘的なガジュマルがあり、その中でも手久津久集落のガジュマルは代表的なものです。ガジュマルの高さは17.7m、幹周りは16m、枝張りの直径は42.0mと大きく、樹齢は100年を越えていると推測されます。
平成17年には、中村獅童主演のフジテレビドラマ「遅すぎた帰還 実録・小野田少尉」のロケ地にもなりました。

サンゴの石垣  喜界町大字阿伝 ( 鹿児島県 )

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サンゴの石垣  喜界町大字阿伝

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。花良治集落の県道619号へ出て、阿伝まで北上すると、県道沿いに「サンゴの石垣」の案内板があるので、集落内へ入る。「サンゴの石垣」が、各所に残る。

サンゴの石垣
台風に備えて先人の人々は、家々の垣根をサンゴでつくり、風を防いだという。サンゴの石垣にはよくハブが住みつくといわれているが喜界島にはハブがいないので保存状態がよく島のいたる所でみかける。貴重な文化遺産である。

ソテツ巨木  喜界町大字嘉鈍 ( 鹿児島県 )

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ソテツ巨木  喜界町大字嘉鈍

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。花良治集落の県道619号へ出て、嘉鈍まで北上すると、県道沿いに「ソテツ巨木」の案内板があるので、山手へ入る。場所的には百の台公園展望台の真下となるあたりである。喜界島一番のソテツ巨木ということで、そんなに大きな木ではなかった。

ソテツ巨木
ソテツは、雄雌異株でこの巨木は雄木である。雌木は赤い梅大位の球果が着生する。果実からは澱粉が採取され食用にも利用されていたが現在は利用していない。生葉を生食すれば酒酔いに有効とされている。庭園、公園樹として最適である。
樹高6メートル、胸高囲4.2メートル、樹齢約300年。

夫婦ガジュマル  喜界町大字花良治 ( 鹿児島県 )

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夫婦ガジュマル  喜界町大字花良治

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。南部の高台「百の台公園展望台」から「七島鼻(ポイント211)」に戻り、少し下って行くと「夫婦ガジュマル」の案内板がある。これから花良治の蒲生(小字?)に下る坂道のカーブ途中に、「夫婦ガジュマル」があった。
このあたりにガジュマルは数本あるが、道路を挟んでそびえたつ2本の巨大なガジュマルの木を言うらしい?(喜界島総合情報サイト「喜界島ナビ.com」)。写真では5枚目以降が道路反対側の木。

夫婦ガジュマル
奄美最大の気根多発夫婦ガジュマル。数多くの気根は風化により、次々に落下する巨石を抱え込み、落石防止樹としての大役も果たしている。推定樹齢850年・樹高13メートル。

百の台公園展望台  喜界町大字嘉鈍 ( 鹿児島県 )

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百の台公園展望台  喜界町大字嘉鈍

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。喜界港から県道628号により南部の山手、自衛隊喜界島通信所正門前を通って上がって行くと、その先の分岐道に「百の台公園展望台」の案内板がある。
七島鼻(ポイント211)を過ぎ、さらに高台を左横北東側へ進んで行く。途中に七十七曲り(降り口)もあった。

百の台公園展望台
島の中央部に広がる標高203メートル、約700ヘクタールの広大な隆起珊瑚礁の高台地、眼下にはエメラルドグリーンに輝く珊瑚礁の海、太平洋と東シナ海が一望できる絶景の地で、奄美十景のひとつでもある。台地周辺はハイビスカス等熱帯の花々が咲く。

七島鼻(ポイント211)  喜界町大字花良治 ( 鹿児島県 )

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七島鼻(ポイント211)  喜界町大字花良治

喜界町HPの観光情報による説明は、次のとおり。喜界港から県道628号により南部の山手、自衛隊喜界島通信所正門前を通って上がって行くと、その先の分岐道に「七島鼻(ポイント211)」展望所の案内板があるから、さらに高台へ登って行く。

七島鼻(ポイント211)
七島鼻(ポイント211)は、喜界島の最高地点(211.96m)にあり、眼下には太平洋の大海原が広がり、西側には奄美大島と東シナ海を望むことができます。
また、ここには、戦時中は敵機襲来をいち早く発見する重要な役割を果たした旧日本軍の通信施設が残っております。現在では、パラグライダーの離陸場としても利用されています。
喜界島は年約2mm隆起しているので、200万年後は4000m超えの可能性があり日本で最も高い場所になるのでは?

テーバルバンタ  喜界町大字花良 ( 鹿児島県 )

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テーバルバンタ  喜界町大字花良治

喜界島総合情報サイト「喜界島ナビ.com」による説明は、次のとおり。喜界港から県道628号により南部の山手、自衛隊喜界島通信所正門前を通って上がって行くと、その先の分岐道に「テーバルバンタ」展望所の案内板がある。

テーバルバンタ
喜界島を構成する石灰岩は、古くは約10万年前から造礁性サンゴが絶え間なく生き続けることにより形成されました。年間約2ミリといわれる極めて早い隆起速度により世界でも類い稀なるサンゴ礁段丘の景観を今に残しています。喜界島の南西部を見渡す中西公園周辺からは地面ごと隆起した様子を知ることが出来ます。

ウフヤグチ鍾乳洞  喜界町大字島中 ( 鹿児島県 )

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ウフヤグチ鍾乳洞  喜界町大字島中

喜界島総合情報サイト「喜界島ナビ.com」による説明は、次のとおり。喜界港から県道619号により北部の中熊まで行く。県道から右折する案内板があり、山手の島中へ上がって行くと、「ウフヤグチ鍾乳洞」に着く。
洞内には照明設備がなく、懐中電灯が必要。平成17年にフジテレビ系で放映されたドラマ「遅すぎた帰還・実録小野田少尉」のロケ地として使わた鍾乳洞。

ウフヤグチ鍾乳洞
かつては鍾乳石や石筍(せきじゅん)が発達してましたが、大平洋戦争時に守備隊の防空陣地となり、鍾乳石は打ち壊され、石筍は一部取り払われています。入り口付近では鎌倉時代のものとされる「長石の辻遺跡」が発見されました。

坂嶺のウリガー  喜界町大字坂嶺 ( 鹿児島県 )

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坂嶺のウリガー  喜界町大字坂嶺

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。喜界港から県道619号により北部の坂嶺へ向かう。集落入口の「先内バス停」に「町指定天然記念物(史跡)ウリガー」の案内板がある。右折するとすぐ先の左側山林内に、この史跡が残る。
観光マップにほとんど載っていない場所で、伊佐の手前となる「先内バス停」の案内板を見落とさないようにする。

坂嶺のウリガー さかみね
(大島)喜界町(喜界島) 横穴式の斜面泉 江戸期? WEB 保存状態良好/現役 らせん状のウリガー/井戸堀りの技術があまり進んでいなかった頃,水源まで横から掘り下げていった 1 C