正面「みさき道 今魚町」 左側面「上 川原道」
道塚⑧と同じ場所で、その5m奥にある。
(川上氏HPから修正作成)
正面「みさき道 今魚町」 左側面「上 川原道」
道塚⑧と同じ場所で、その5m奥にある。
(川上氏HPから修正作成)
正面「道塚五拾本」 右側面「天明四年 辰八月吉日 勝山町石工 山下左吉」 左側面「今魚町」
(1784年 寄進の意味か) 観音寺の本堂石段登り口の右脇
(川上氏HPから修正作成)
正面「従是観音道」 左側面「山道十丁」 大型石柱
裏側「元禄十丁丑九月吉日 願主敬建」(1697)
国道三叉路から脇岬へ300mほど行った擁壁の石段上
(川上氏HPから修正作成)
正面「みさき道 今魚町」 三和行政センター前広場
(県養護学校近くにあったのを、移設展示)
[説明板文面] みさき道の道塚
みさき道とは、唐人屋敷があった長崎市館内町から野母崎町脇岬の観音寺までの7里(28km)の古道をいいます。
江戸時代から盛んになった観音信仰の道で、その道筋に当時の今魚町(現在 魚の町・桜町)が道標として50本寄贈したといわれ、11本が現存しています。そのうちの1本がこれで、およそ180年ほど前のものです。
また、世界に開かれた長崎の防備のため、数多くの台場(砲台)をつなぐ道でもあり、唐貿易に係わっての抜け荷(密貿易)の道だったとも言われています。
平成16年1月 三和町教育委員会
(川上氏HPから修正作成)