温泉鉄道跡を小浜まで訪ねる  (2)

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温泉鉄道跡を小浜まで訪ねる  (2)

平成20年6月3日、温泉鉄道跡を小浜まで訪ねる。温泉鉄道は愛野から唐比へ出、愛野展望台下の海岸を千々石まで行き、なお橘湾沿いに木津・富津を経由、小浜温泉入口まで走った。
軌道跡は現在国道251号線の一部や県道201号線となって、九州自然歩道のコースである。
その(2)は、千々石駅から木津の浜駅までの区間。沿線近くの写真も入れる。
鉄道の歴史資料は次のとおり。以下続く。

小浜町史談編纂委員会編 「小浜町史談」 小浜町 昭和53年
雲 仙 鉄 道         384〜385頁

愛野駅を基点として千々石までの温泉鉄道が、愛野・千々石両村の資産家などによって計画され、その会社の創立は大正九年七月六日、軽便鉄道の敷設工事が終ったのは大正十二年五月三日であった。
これとは別に千々石・小浜間の小浜鉄道会社が生れたのは大正十年、延長五哩あまり、途中三ヵ所のトンネルは難工事であった。とくに千々石・木津間トンネル、南口付近の測量は百㍍の断崖を命綱たよりに続けられた。工事着手とともに千々石・木津・富津・北野に土工納屋が建てられ、朝鮮人工夫と地元の労務者がこれにとり組んだ。
そのときの測量技師が「こんな難工事は第一が日本海に面する親不知(おやしらず)、子不知(こしらず)、次はここだ」と云ったそうである。わずかの区間に三ッのトンネル、八十度の傾斜を削って線路を通したが、道具はツルハシとノミ、ダイナマイトとトロッコだけであった。トンネル内の側面や天井の石材はすべてそのあたりの安山岩であった。
大正十五年三月に全線の工事が終り、開通式は肥前小浜駅で三月十日、列車は黒煙を吐いて気関車一、客車二、貨車一という編成で一日六往復、北野には旅館街へ送迎のバスが運行された。
愛野・愛津・水晶観音・竹火ノ浜・千々石の各駅までが温泉鉄道、千々石・上千々石・木津が浜・富津・肥前小浜駅までが小浜鉄道、自動車が次第に多くなるなかでこれでは経営が成り立たぬ。島原鉄道からの直通運転が昭和二年六月六日から開始されたが、昭和七年十一月十六日解約、昭和八年七月、両社は合併して雲仙鉄道と改名した。
千々石湾沿いの景観はよい。それを目的で乗る客もありはしたが、バスや自家用自動車がふえるにつれ、黒煙を吐かないガソリン車になってはいたが、鉄道客はへるばかり、その上に日支事変に突入したことが大きく影響して昭和十三年七月二十三日、会社解散となってしまい、レールが敷かれていた跡は舗装道路となり、その盛衰をものがたっている。