地獄川に残るレンガ造石橋 長崎市桜町・栄町
次は布袋厚著「長崎石物語」(2005年刊長崎文献社)24〜25頁の”石張りの川 シシトキ川”から。最後の図とも。
長崎では道ばかりでなく、川のなかまで石が張られている。中通り商店街と寺町のあいだを流れる「シシトキ川」がそれである。この川は中島川の支流となっている銅座川の、そのまた支流である。…
川幅は約二メートルで、大きな溝という感じにちかい。上流にさかのぼるにつれて、しだいに川幅がせまくなる。写真でわかるように、両脇の板石が斜めに張られ、水量がすくないときに、流れをまんなかに集めるしくみになっている。
このような川は、桶屋町から築町をへて出島橋にいたる「地獄川」(公会堂の裏、および中央公園裏で川底がみえる)、樺島町、館内町などもある。地獄川の名は、公会堂裏にある市役所別館の場所に、むかし、牢屋「桜町牢」があったところから来ている。
私の話は、名前がすごい公会堂裏にある「地獄川」の方である。川に沿った一段高い家の入口や駐車場となって、桁石やコンクリートで川を渡っている。由緒ある町並みなので、主な通りはまだ古絵図に近い。職場が近くだったからよく通ったのに、今まで気づかなかった。橋の下を覗くとやはり石橋だった。
場所は、市役所別館から公会堂裏へ下る車は一方通行の通り。上はコンクリート橋となっているが、下に赤レンガ造の小さい石橋が残っていた。幅員2.5m、長さ2mくらい。レンガアーチに切石の礎石がはめられている。
少し細工した跡があるが、刻字はなかった。橋名は仮に「地獄川の桜町橋」としよう。江戸時代は「桜町牢」の入口だったかも知れない。魚の町公会堂付近は長崎の最初の魚市場があったところらしい。
この辺りの暗渠は、だいぶん開かれている。栄町の長崎女子商業高校前の通りまで、海野酒店側から暗渠を10mほど入った。ここにもやはり同じレンガ造石橋が眠っていた。通りが広い分だけ幅員は4mほど。これは「地獄川の栄町橋」としよう。
この先にはもう見あたらない。中央公園裏までいくらなんでも暗渠を進みきれない。石橋の年代は、川に板石を張って整備したときと考えてよいだろう。
他の町の同じ造りの川も、一度は見てみる必要があろう。