千々川納手岩三段滑滝  長崎の隠れた名滝

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千々川納手岩三段滑滝  長崎の隠れた名滝

長崎のギネスブック「長崎なんでもNo.1」が昭和63年刊行されている。地形編で、大きい滝は「平間町 滝の観音 落差30m」しか紹介されていない。滝・巨樹・石・景観・古道等の調査が本にはあまりなく、ランクがないので物足りなく感じる。若い人が今後、ぜひこの方面の調査に挑戦してほしい。

「滝」の厳密な定義は知らない。長崎山岳会故臼木寅雄氏は「只見た時の感じに過ぎないので、たとえ二米そこそこのものでも落水有壺で遡行を妨げる崖を拾い上げたまでである」と注釈されている。
氏を取り上げたのは、千々川に関する貴重な記録を私が手元に持っているからである。
長崎山岳会会報「足 跡」No.13/1969.12。「特集…千々川」。

千々川は八郎山系の裏側にあり、橘湾にそそぐ。長崎半島で最大の流域と豊富な水量を有したが、当時は至って交通不便、辺ぴな地域で、遡行を試みる人は稀であった。
長崎山岳会がここに最初に足を入れたのは、昭和32年。それから10年をかけた踏査結果が、会報に「千々川遡行 臼木寅雄 昭和42.10記」として掲載されている。核心部分の記述は、次のとおり。

「八郎川の合流を左に見送り尚も遡行を続けると両岸から支稜が押迫り川筋を扼するようになると突如として一大岩壁が立塞がり滔々として落下する高三十米位の大滑滝が現われる。納手(のうて)岩と云う。右岸を注意して登ればザイルなしでよいが初心者には安全を期してザイルを用いる必要がある」

同会山崎氏撮影の「納手岩滑滝」当時の写真は、上のとおり。普段は水量がなく大雨の後しか出かけられないが、この記録と見事な写真を見て、千々川遡行を若い頃に3度ほど試みた。
現在の千々川は、長崎大水害後、大きく変貌した。川にはコンクリート堤防が何箇所も築かれ、上部宗津地区は地すべり防止工事があって山道が寸断されている。八郎岳を越す大崎林道もできた。

現在は川の遡行はできないが、この滝へかえって行きやすくなっている。滝の上部には前から部落の上水道取水口があったが、千々バス停から農道が奥まで上がり、農道終点手前からパイプを敷設している山道を20分ほど歩くと、取水口の淵に着く。この下流に10分ほど急斜面の山道を下ると滝下に出る。
最近の写真は、梅雨の合間を見計らい、増水した平成19年7月8日、現地へ行って撮ってきた。

私の印象から言えば、長崎市内第一の名滝は、この写真のとおり千々川の落差30mある「納手岩三段滑滝」、次に藤田尾「津々谷の滝」がランクされるのである。