今回新たに見つかった「長崎要塞地帯(区域)標」2本の標石
(1)1—A—2 四郎ヶ島小島の小ピーク上 (確認 長崎要塞第一地帯標 第二号)
魚見岳と天門峰に残る明治9年「地理局測点」と同じ測点が、四郎ヶ島東の小島を埋め立てた小島台場跡にも設置された長崎歴史文化博物館の史料があり、平成18年12月にこの現地調査をした。台場跡とこの小さな島の海岸・島内を探した。「地理局測点」の形跡はなかったが、小島には2つのピークがあり、東側突端の低いピークの岩場上に要塞地帯標があった。神の島側内海の釣り人がよくいるコンクリート堤防の上手である。
「長崎要塞第一地帯標 第二号」である。同「第一号」は四郎ヶ島の北側海岸、海道を渡った右手にある。第一地帯標は「長崎要塞地帯略図」に表われず、探してまわるしかない。海道に戻ってこの小島小ピークを眺めてみると、標石の姿は見えて識別できた。何で第一号のすぐ近くにありながら、今までわからなかったか。佐世保高橋輝吉氏も気づいていなく、後日佐世保から来て確認した。
(2)区—特—2 日見配水タンク場上の道脇 (確認 長崎要塞区域標 第二十九号)
山名は「日見山」と思われるが、日見小学校背後の山。上方に水道局配水タンク場が見え、コンクリート坂段が長い直線で上がっている。この取り付きまで日見霊園前から急な車道を登る。びわをレールで下ろす作業小屋があり、中を通って坂段を327段ほど登ると配水タンク場。フェンス左を周回する山道があり、上のピークへ急な尾根道は続き、約5分ほど登った竹林道脇に標石はある。
「長崎要塞区域標 第二十九号」である。「長崎要塞地帯略図」に○印のあった区—1は旧矢上と日見の村界中尾尾根で「第三十二号」、同区—Jは網場金比羅岳山頂で「第二十八号」が現存。双方の線上となり号数も合うが、地図に○印のない地点で探すのは困難だったろう。
この標石の存在を教えてくれたのは、田中町織田武人先生。上の山一帯は日見城址。以前この調査で山に入り知っておられた。タンク場が出丸跡となる。