高城町穂満坊の石敢當(七日市の石敢當) 都城市高城町穂満坊
サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。都城市高城町市街地の県道47号から高城小学校の南側まで入る。所在地図を参照。「修栄工業」の看板があった。
「民族信仰 日本の石敢當」には、所在地が「高城町大井手七日市74」とあるのは、「高城町穂満坊七日市74」の間違いであろう。
高城町穂満坊の石敢當(七日市の石敢當) たかじょう、ひまんぼう
都城市 石敢當(自然石、凝灰岩) 高90㎝,幅70㎝ 江戸期? 市教委(高城の石塔・石碑・石仏たち) 山崎家のブロック塀中に割れた石片を継いで修復されている 藩政時代の高城地頭館を囲む武家屋敷外入口の要衝の地点で、薩摩街道七日市の突き当たりにある/旧街道にあるので、江戸期の建立と推定される 3 C