高崎町前田の石敢當 (谷川の石敢當) ほか  都城市高崎町 ( 宮崎県 )

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高崎町前田の石敢當 (谷川の石敢當) ほか  都城市高崎町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。都城市高崎町の現地を私が訪ねたかぎり、いずれも所在不明となっているようだったので、都城市教育委員会に調査をお願いしたい。
後ろに「民族信仰 日本の石敢當」慶友社2004年刊と、「高崎町史」の関係頁を載せる。 

高崎町前田の石敢當 (谷川の石敢當) たかざき、まえだ
都城市 谷川公民館・前 石敢當(砂岩) 高25㎝,15㎝角 江戸中期 日本の石敢當p131/市教委(高崎町史) 移設/砥石に使用されたらしく背部は磨り減っている (正面)「(梵字)石敢當」 3 –

(谷川の石敢當)は、大字前田字谷川の谷川自治会公民館前にあるとあるが、現在地の新しい公民館前のは、石敢當ではなかった。地元で調べると、公民館は以前、谷川バス停角の現在、草地の駐車場のところにあった。近くの田の神にある集落案内板によると、確かにここに「石敢當」と表示されているが、その後、この石敢當がどうなったか、聞き込みは得られなかった。(写真1〜6)

高崎町大牟田の石敢當3 (荒場の石敢當) たかざき、おおむた
都城市 (荒場) 石敢當(凝灰岩) 高48㎝,幅25㎝,厚10㎝ 江戸末期 日本の石敢當 p130/市教委(高崎町史) (正面)「石敢當」 –

(荒場の石敢當)は、大字大牟田字4520の荒場義雄家の氏神様と並立しているとある。荒場の入口の該当地番を訪ねるが、名前が変わり、近所で聞き込みが得られなかった。

高崎町大牟田の石敢當2 (西村の石敢當) たかざき、おおむた 都城市 (西村) 石敢當 高55㎝,幅24㎝,厚20㎝ 江戸後期 日本の石敢當 p130/市教委(高崎町史) (正面)「奉修石敢當」 –

(西村の石敢當)は、大字大牟田字西村前3670 福原家の屋敷内(三叉路突き当たり)にあるとあるが、ここも新住宅地となっているようで、石敢當の確認はできなかった。(写真7〜8)