岩戸一里塚  豊後大野市清川町臼尾 ( 大分県 )

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岩戸一里塚  豊後大野市清川町臼尾

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。国道502号清川町岩戸橋手前から右折して旧国道の広地まで出る。右側の細い坂道の方が日向街道。しばらく登って進むと、岩戸一里塚に着く。所在図参照。

岩戸一里塚 いわど
豊後大野市 <日向道> 一里塚(1基) 高約2m,径約5m 江戸期 市史跡 市教委/歴史の道・日向道p38 お椀状から相当形態が崩れている/塚木なし 4 C

現地説明板は、次のとおり。

市指定史跡  岩戸一里塚
一里塚とは、街道の一里ごとにその目印として、道の両側に設置された塚で、例外もあるがふつうその上には榎が植えられ、遠くからも望見でき旅行者の便をはかったものである。
一里は三十六町を原則としており、これは古来六町、四十町あるいは五十町をもって一里とするなどまちまちであったのを天正(1573〜91)年間、織田信長(1534〜82)が三十六町を一里に定めたものを踏襲している。
こうして構築された一里塚は、旅人にとっては里程の目安また日ざしの強い日には木かげの休憩所となった。
一里塚のある道路は、貢祖道路(年貢を運ぶ道)として、また旧岡藩、旧臼杵藩の藩内各組への連絡道として人々の往来に使用されていた道で、通称殿様道とも呼ばれていた。
豊後大野市教育委員会