畑の道標 山都町畑
サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道218号山都町畑交差点から南へ入ると、左側にすぐ日向往還地蔵坂入口がある。登って行くと畑公民館先で上畑跨道橋を渡り、その先の二俣となった高台に放牛地蔵の堂がある。地蔵前の左側がこの道標である。
畑の道標 はた
(上益城)山都町 <日向往還> 石道標 高0.6m,17㎝角 寛政5(1793) 歴史の道・日向往還 保存状態良好 「右ひうかおうくわんまみわらへの道」
HP「百街道一歩の日向往還」3金内〜聖橋による記事は、次のとおり。
・さっきの二股に戻り、道標に従い坂道を上って行く。
・右手山裾に「地蔵坂 畑字居屋敷」の白い木標がある。側面には、寛文九年(1669)の「国群一統志」に記された地蔵坂であること、この道は阿蘇氏が「浜の館」に在館のころから阿蘇への道で、近世には日向往還道となったことが書かれている。
・鬱蒼とした森の中の舗装道路を上って行くと、右手に畑公民館があり、その向かい、左手に「板碑群十基 畑字無田口 居屋敷」と書かれた白い木標がある。側面に説明があるのだが、樹木が邪魔をして読めない。
・上畑跨道橋を渡る。
・その先、二股の付け根の高台に地蔵堂がある。ここには放牛地蔵が安置されている。放牛地蔵についてはこれまで熊本県下で数多く見てきたが、歴史の道調査報告書によると、ここのは九十八体目の放牛地蔵だそうだ。
・地蔵の前に道標があり、歴史の道調査報告書によると、寛政五年(1793)のもので、右は「右ひうかおうくわん まみわらへの道」、左は「左なんかう あそ山への道」と刻まれているようだが、部分的にしか読めない。ここにはまた、猿田彦もある。
・この二股には、「日向往還道標 放牛地蔵」の石標があり、矢印は右手を指している。