大利の道標・参勤交代道御休所跡・新里程標  産山村大利 ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

大利の道標・参勤交代道御休所跡・新里程標  産山村大利

「ぐんさん 物見遊山記 : 豊後街道を歩く 久住〜笹倉 – ライブドアブログ」による説明は、次のとおり。私は県道216号により産山村へ向かった。谷間の大利バス停から豊後街道を戻ると、屋敷端に道標、竹林前に「御休所跡 参勤交代道」、バス停前へ進むと新しい里程標、大利橋を渡って「境の松の石畳」と続く。ブログとは、一部逆に歩いている。

豊後街道を歩く 久住〜笹倉

…熊本県にはいってすぐに、豊後街道の石柱と「境の松の石畳」の案内板。
すぐに道は石畳に変わり下っていく。かつてこの石畳を下ったところに「境の松」と呼ばれる松の木が立っていたそうだ。石畳があると俄然街道歩きをしている気分が盛り上がる。
石畳の道を下り、さらに進むと玉来川に架かる橋。先ほど上から見えた橋だ。

橋を渡るとここにもしっかりした案内板と標識がある。熊本県側は案内がしっかりあって分かりやすくありがたい。
杉並木の道をしばらく進むと右手に里程標の標柱があり、そのすぐ先の三叉路には豊後街道の標柱。この三叉路は右へ進む。
立派な石垣と塀に囲まれた屋敷がある。その屋敷の端辺りに道標が残っている。正面には「右 笹倉阿蘇」「左 白丹久住」とあり、向って右側面には「右 大利片俣」とある。

道標のすぐ先に 「殉難碑」 が建っている。昭和二十九年に建てられたもの。昭和二十一年、県道高森久住線の建設工事において大利橋の架設に尽力した当時の大利区長 井水裁氏は工事従事中に不慮の事故に遭い帰らぬ人となった。また昭和二十八年に九州全土で大きな被害をもたらした水害はここ大利の地でもがけ崩れにより和藤氏の家が埋没し長男・次男・三男が生き埋めとなり、さらに救出にあたった数名も二次災害で死傷するという痛ましい災害となった。これらを偲び建てられたのがこの碑である。

「御休所跡 参勤交代道」 の標柱が立っている。かつてこのあたりで殿様が駕籠から降りて茶を飲み休憩したことから御休所と呼ばれている。
集落を通り抜けると道が左右に分かれるので右手の未舗装の道へと登って行く。…