上井手(堀川)  大津町瀬田〜大津 ( 熊本県 )

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上井手(堀川)  大津町瀬田〜大津

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。上井手取水口などは、次記事とする。

上井手(堀川) かみいで
(菊池)大津町 用水路 全長約24㎞ 寛永13〜承応元 (1636-52)の間 歴史の道・豊後街道p.100 石護岸を一部残す 加藤清正が構想、忠広(清正の子)が元和4(1618)開削に着手、細川忠利に受け継がれて完成/江戸期の用水路としては幅が広く流量が多い/上記の5基の石橋が架かる 2 A

大津町大津の光尊寺橋近くにある説明板は、次のとおり。同場所の疎水百選「上井手用水」の掲載写真は、写真5,6のとおり上流側の瀬田神宮「妙見橋」と桜を写している。

堀川(上井手)
「史蹟 堀川(上井手) 加藤忠広公は父清正公の遺志を継いで元和4年(1618)堀川の開墾に着手、瀬田鍋倉の瀬に取入口を設けて幾多の難所を排除しつつ工事を捗めた。しかし寛永9年没封国除となり、かわって入国した細川忠利公がその遺業を継ぎ、寛永13年(1636)工事を再開、次代光尚公により坪井川まで全長約24kmの堀川が完成。原野変じて大津穀倉地帯の基が礎かれた。このことは肥後三大御倉の一つ大津御倉が置かれたことが如実に物語っている。
以来堀川に沿って集落が形成され大津手永会所の所在地として政治経済の中心地となり、また参勤道の宿場町して繁栄を続けた。往時堀川には流れを利用した水車が20余輪を数え、後に米粉加工による郷土銘菓銅銭糖の誕生をみることになる。当光尊寺は承応2年(1652)に開基された古刹で山門に架る石橋は文化12年(1815)架設で堀川に現存する石橋の代表的な一つである。」
大津町教育委員会