洞口橋(日渡洞口橋)  山鹿市菊鹿町下内田 日渡 ( 熊本県 )

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洞口橋(日渡洞口橋)  山鹿市菊鹿町下内田 日渡

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。旧県道9号菊鹿JAあたりから、あんずの丘の山鹿市役所菊鹿総合支所へ上がって行くと、現在の日渡橋脇に公園があり、復元橋が展示されている。

洞口橋(日渡洞口橋) とうぐう(ひわたし)
山鹿市 <人道/前川> 石アーチ橋 (凝灰岩) 長6.0m,S5.2m(A),幅0.58m 安永3(1774) 市有形 WEB(肥後石工) /前川清一 平成5の洪水で流出→平成6復元・展示 石工:仁平(ただし、「仁平=仁平組の元祖」という通説は間違い)/太柄(だぼ)を用いて迫石を固定するタイプで最古の橋=仁平が細川藩より阿蘇黒川に眼鏡橋架橋を命ぜられ、築造上最も重要なアーチ部分を試作したもの/長さ約85㎝の石材を7本継いだリブアーチ 3 A

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,687  日渡洞口橋(ひわたしとうぐうきょう)
山鹿市菊鹿町下内田 日渡
橋長:7.0m  橋幅:0.58m  径間:6.65m  拱矢:1.25m  環厚:35cm  輪石:7列
石工:仁平

町指定文化財
「この橋は、日渡地区を流れる前川(太田川)に架けられていた石造の眼鏡橋です(元位置は日渡橋の真下)。天明前後(1780年頃)、下内田の石工仁平によって架けられたもので県内の石橋では最古のものといわれています。
架け方もリブアーチ式と呼ばれる珍しいもので、その架橋法は、まず細い一本のアーチを向い側まで完成させ、ついでそれに隣接させながら次々に同じものを並べ架けて橋幅を広げていくというものです。
この洞口橋は本来人が渡るためというより、むしろ阿蘇郡長陽村に黒川眼鏡橋を架けるための試作的な意味で造られたものといわれています。
平成5年6月の大雨により4個の板材が流されたため、この度地元日渡地区の皆さまの御協力を得てこの地に復元し、永く石工仁平の文化遺産を保存するものです。
「石工仁平」・・長崎に赴き石橋の技術を習得し、帰郷後黒川眼鏡橋や門前川橋(御船町、現存)を造ったといわれる。この他六地蔵・鳥居。仁王像などに秀作を残す。没年寛政2(1790)年、享年53歳。
「黒川眼鏡橋」・・天明2(1782)年完成、昭和28年の6・26水害により崩落。現在、架橋地点からやや下流に台石数個が残存しているという。」
菊鹿町教育委員会