元広の里数木(五里木)  山鹿市鹿央町広 ( 熊本県 )

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元広の里数木(五里木)  山鹿市鹿央町広

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道3号または県道55号により山鹿市役所鹿央総合支所まで行く。庁舎東側の旧豊前街道をしばらく南下すると、里数木跡がある。所在地図のとおり。

元広の里数木(五里木) もとひろ
山鹿市 <豊前街道> 一里塚(2基) 江戸初期? 市史跡 市教委 榎は枯れ死 五里木が、木だけでなく、一里塚のように街道を挟んで並ぶ一対の円形塚に植えられていた(非常に珍しい) 2 B

熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化 > 県北 > 史跡・遺跡>による説明は、次のとおり。

豊前街道と里数木跡(ぶぜんかいどうとりすうぎあと) 山鹿市

所在地 山鹿市鹿央町広
利用案内 駐車場・トイレ   鹿央総合支所・善行寺利用
解説

■豊前街道 
熊本県は、九州の中央に位置しているため古くから交通が発達し、豊後街道、薩摩街道、日向街道といった街道が整備されました。
寛永9年(1632年)に細川忠利が肥後国に入国するときに豊前街道を通っています。豊前街道は、熊本市新町の札の辻(ふだのつじ)を出発点として、今の植木町、山鹿市、和水町、南関町を通り、筑前国(現 福岡県)の小倉に至る交通路です。
江戸時代には、細川氏をはじめ人吉藩の相良氏、鹿児島藩の島津氏などが参勤交代のときに利用しています。山鹿市には、この豊前街道が通っていて、現在も当時のなごりがみられます。

■里数木跡
山鹿市鹿央町の広(ひろ)には、里数木(りすうぎ)跡がありますが、ここは豊後街道中で里数木跡がはっきり分かる唯一の場所で、貴重な文化遺産となっています。江戸時代に、往来を便利にするために、熊本市新町を出発点にして、街道に1里(約4km)ごとに榎が植えられ、それを里数木といいました。広の里数木は5里の里数木(熊本市から約20km)で、現在は榎が植えられていた塚だけが残っています。
東側の榎は早く枯れましたが、西側の榎は昭和20年代までは元気だったそうです。大きな榎の老木が枝を広げ、夏は涼しく、憩いの場となっており、子どもにとって格好の遊び場になっていたそうです。また榎の実を鉄砲玉にして、ぷすぷすと鳴らせて遊んでいたということです。

■広町と善行寺
里数木から1kmほど熊本寄りの場所に広村がありましたが、次第に町場が形成され広町というようになりました。広町は在町(ざいまち 注)だったため、商いに色々な制約がありましたが、酒造屋や油屋など20数軒が並び、藩が許可した商品が売られていました。
広には善行寺(ぜんぎょうじ)という寺院があります。善行寺は参勤交代の際に大名の休息所となったところで、細川氏・島津氏・相良氏が立ち寄っています。座敷や庭などに当時の面影があり、特に玄関の欄間(らんま)には細川家の「九曜紋(くようもん)」が彫り抜いてあります。玄関の前には、和田次郎正善が元和元年(1615年)に創建したときに植えたと伝えられるイヌマキの木が立っています。
(注) 村の一画が町場となったもので、商売をする場合は許可が必要でした。

参考文献
熊本県教育委員会 編 『熊本県文化財調査報告 第60集 1』 熊本県教育委員会 1983年
鹿央町教育委員会 編 『鹿央町の文化財 第2集』 鹿央町教育委員会 1999年
鹿央町史編纂室 編 『鹿央町史 上巻』 鹿央町 1989年