上板楠神社の眼鏡橋  和水町大字上板楠 ( 熊本県 )

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上板楠神社の眼鏡橋  和水町大字上板楠

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道195号和水町三加和総合支所前から十町川南側の町道を北上。750m先の写真入口の道を左折、上板楠神社の裏手に架かっている。

上坂楠神社の眼鏡橋 かみいたくす
(玉名)和水町 人道 石アーチ橋 (凝灰岩) 長3.6m,S2.8m(A),幅1.1m 文政-天保(1818-43)頃 町教委 保存状態良好 橋の中央部のみ装飾高欄を配した特殊な形態 1 C

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,682  上板楠神社眼鏡橋

和水町大字上板楠 上東
橋長:4.5m  橋幅:1.3m  径間:2.6m  拱矢:1.3m  環厚:30cm
輪石:15列
県道195号線、旧三加和町役場前の十町川に架かる橋の南側の道を北上。750m先を左折、上板楠神社の裏手に架かっています。

上板楠神社と眼鏡橋
「この神社は、江戸時代には、「妙見宮」と呼ばれていた(神殿の扁額など)。明治になってから、地名をとって「上板楠神社」と称し、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神を御崇神とした。また、「三霊神社」ともいった(鳥居の額束)。
神社の由来については、鳥居の横にある明治30年(1897)建立の石碑の銘文によると、「後鳥羽天皇の文治5年(1189)に、岡原城主の梶原景末の願いにより、八代妙見宮の御分神を勧請して建立された」というが、この記述が、この神社の神社帳(現在所在不明)などの文献によるものか、あるいは言い伝えによるものかはわからない。
境内社としては、祗園さんと天神さんを合祀したお社とお伊勢さんのお社、それに社日さんの石祠(安政5年、1858)がある。
境内には、前述の石碑のほか、天保15年(1844)奉納の一対の石灯篭、明治30年(1897)建立の石鳥居、無名の手水鉢(2基)があり、」さらに、安政4年(1857)にできた重厚な玉垣が境内を囲んでいる。
裏参道にある御手洗池には、小さいながらも見事なつくりの石造眼鏡橋が架けられている。この橋は、欄干が玉垣と類似しており、玉垣をつくった石工の作ではないかと思われる。」
平成8年3月   和水町教育委員会

この奥に上板楠神社があります。鳥居扁額には「三霊神社」と書かれています。
目指す眼鏡橋は神社の裏手に架かっています。欄干。安政4年作の玉垣。