宝珠山炭坑の坑口・二坑跡 東峰村福井
現地説明板は、次のとおり。宝珠山駅先の踏切から宝珠川の橋を渡る。宝珠山グランド・テニスコートの手前にこの史跡説明板があった。ほかの場所は訪ねていない。
宝珠山村 史跡ガイド
18 宝珠山炭坑の坑口・二坑跡
18世紀末江戸時代の寛政年間以来、村民が燃料としていた宝珠山の石炭は、明治になると産業化され、明治45(1912)年には、石炭王・伊藤伝右ェ門による買収で伊藤合名会社宝珠山炭坑となり、本格的な開発が始まり、昭和10(1935)年、ここ大字福井地区に延長1640mの第二坑が開坑されました。
周囲には、採炭機、水洗機、山神社、総合事務所、鉱員・職員住宅、診療所、浴場などの施設が作られ、昭和26(1951)年4月には、3194トン、宝珠山炭坑の53%を出炭しました。
正負両面を宝珠山に与え、日本近代化の一翼を担った日本炭業宝珠山鉱業所は、エネルギー革命により、昭和38(1963)年、完全閉山しました。