大己貴神社参道橋  筑前町弥永 ( 福岡県 )

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大己貴神社参道橋  筑前町弥永

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。県道386号筑前町弥永交差点から北東に県道594号に入る。大己貴神社は集落中間の左手にある。     

№2,060  大己貴神社参道橋

朝倉郡筑前町弥永
橋長:3.6m  橋幅:2.8m
単径間円弧桁橋
大己貴(おおなむち)命は大国主命のことだそうです
極端に分厚い桁です。両側は単径間桁橋。

大己貴(おおなむち)神社
「筑前国続風土記によれば、『大神大明神は弥永村にあり。延喜式神名帳に“夜須郡於保奈牟智神社小一座”とあるはこれなり。祭るところの神は大己貴命なり。今は大神大明神と称す。御社は南に向かえり。東の間に天照大神、西の間に貸すが大明神を合わせ祭る。宮所神さびて、境地ことに勝れたり』
日本書紀に『仲哀天皇九年秋九月・庚午朔己卯(の日)、(神功皇后)諸国に令して船舶を集めて、兵甲を練らんとせし時、軍卒集い難し。皇后曰く必ず神の心ならんとて、大三輪社を立て、刀矛を奉りたまいしかば、軍衆自ずと聚る』とあり。九月二十三日祭礼ありて神輿御幸あり。御旅所は村の西十町ばかりの処にさやのもとというところあり、これなり。その他、年中の祭礼たびたび有りしとか。いまはかかる儀式も絶えはてぬ。然れども夜須郡の惣社なれば、その敷地広く、産子殊に多くして、人の尊敬浅からず』との記載がみられる。
太宰管内志(国学者伊藤常足編)によれば『筑前神社志に神功皇后より後に嵯峨天皇弘仁二年勅願ありてご建立あり。その後、661年を経て後土御門院文明三年、勅願としてご建立あり。その間数度造り替えありといえども詳らかならず。伝われる縁起・記録類は天正十五年(1587)より96年の間、仮殿に居ましける。寛文十二年(1672)石鳥居建立。祭礼神幸の儀式は同十三年に再興す。本社、貞享四年(1687)改造す。拝殿は元禄五年(1692)建立、同六年社領少々、黒田甲斐守寄付し給えり。神職松本氏(本姓大神)先祖より宝永二年(1705)まで、六十二代相続せり』とある。
さらに、筑前国続風土記附録にも次の記録がみられる。『神殿一間半・二間半、拝殿二間半・四間(中略)この村(弥木)及び甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛木・馬田・野町・高田・依井・大塚すべて十四村の産土神にして、夜須郡の惣社なり。頓宮地は本社の西南、八町ばかりにあり。東西十間余り、周りに松杉植わり、中に礎石あり。神幸の時は、ここに仮殿をも葺く。また町の中に浮殿の地あり、切り石ありて里人は神輿休と云う。社内に祇園社・黒殿社・八幡宮・現人社・水神・神池あり』」