新開村旧隄記碑  みやま市高田町黒崎開 ( 福岡県 )

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新開村旧隄記碑  みやま市高田町黒崎開

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。場所がわかりにくいから所在地図を載せる。「距手水門」があるみやま市南永治交差点から、国道208号(有明海沿岸道路)に並行する県道
18号を約3km北上すると、写真の地蔵がある。ここから右へ堤防道路下ガードをくぐると、説明板と奥に「新開村旧隄記碑」が見える。フェンスは施錠されているが、傍らから中に入れる。

新開村旧隄記碑 しんかい
みやま市 永治堤防 石碑(自然石) 高250㎝ (台石2段を含む) 天保6(1835) 県史跡 市歴史資料館出典 移設
(正面)「新開村舊隄記/江都佐藤担撰文 朝散大夫林皝篆額/柳河藩今村五郎兵衛藤原長利以延寶中爲普請役相新開村海/濱斥鹵可以墾闢乃築石隄以防風濤隄長一里南自堀口北抵三/開之閘其内得膏腴若干畞至正徳中田尻總馬太神維安繼其職/又繕治之然後風濤不能為害也至其後村民更築土隄於舊堤之/外又得若干畞而風濤一至輒蕩然潰決如此者數矣文政乙酉有/司相議曰隄非石不堅而運之於遠則勞費亦不貲不如耴石於舊/隄移諸此之爲易也乃如其言後三年戌子西國濤変瀕海莫能免/其害而此隄巍然獨得全焉於是有司更増修之至甲午之春始大/成矣然皆資諸舊隄以成之則其功實二子之是繇也有司恐舊功/之或泯没也欲碑而傳之遠索記於余之畧記其顛末云/天保六年龍集乙未冬十月中澣 淡海關研書字」/永治堤防竣工の翌々年(文政11)に来襲した台風で堤防が決壊しなかったことから、永治堤防の石材の一部供給源となった黒崎堤防を称える意味で潮止地点に建立したもの 2 A