矩手水門(苦楽橋)  みやま市高田町永治・黒崎 ( 福岡県 )

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矩手水門(苦楽橋)  みやま市高田町永治・黒崎

HP「土木遺産in九州」による説明は、次のとおり。国道208号の有明海沿岸道路によりみやま市南永治交差点まで行く。市道を少し西へ向かうとレンガ造りの矩手水門が、江戸時代に築造された黒崎堤防と永治堤防の間にある。

矩手水門(苦楽橋) かねてすいもん(くらくはし)  みやま市

所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:福岡県みやま市高田町永治、黒崎
●完成年:明治32年8月
●設計者:不明
●施工者:福岡県
●管理者:福岡県
●文化財指定等:福岡県指定史跡 「旧柳河藩干拓遺跡」として黒崎堤防、永治堤防、矩手水門が指定

【矩手水門】
●敷高:0.83m
●扉幅:2.00m(3門)
●高さ3.00mの暗渠
●煉瓦水門

【苦楽橋(補強アーチ)】
●主径間:4.6m
●厚さ3.00mの全半円の眼鏡橋

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
矩手水門は、江戸時代に築造された黒崎堤防と永治堤防の間にあり、永治開にあった水門を明治時代にひとつにまとめて造ったもので、水門の両岸の壁が倒れないように支えるレンガ造りの橋(苦楽橋)が特徴となっています。
黒崎開は、17世紀後半に立花藩初の藩営で行われた最大の干拓事業で、これに次ぐ規模の干拓事業が19世紀前半に開発された永治開(斗一開、矩手開と呼ばれています)です。
当初の樋門は幅が不足しており排水不良に陥ることが多かったため、明治31年4月から改修がすすめられ、当時の金額で4千数百円(当時の米1俵が3円28銭)と村人3000人の就労をつぎ込んで、明治32年8月に完成しました。工事中には、軟弱地盤対策として石垣の中にレンガの眼鏡張りを行うなどの工法をとっています。この改修により樋門は、敷高0.83m、幅2.00m、高さ3.00mの暗渠三門になり、吐口には主径間4.6m、厚さ3.00mの全半円の眼鏡橋(苦楽橋という)があります。この橋は吐き口の両袖壁が倒伏するのを防ぐためで、水に映る赤レンガが美しい構造物です。
現在は、当時の樋門はなく、苦楽橋だけとなっていますが、南北に伸びる黒崎堤防、永治堤防とともに近世の干拓堤防の景観を良好に残しており、県の指定史跡となっています。

交通アクセス
九州自動車道南関ICから西へ車で約30分
西鉄大牟田線開(ひらき)駅から西へ3.1km