長門石町の碇石  久留米市長門石5丁目 ( 福岡県 )

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長門石町の碇石  久留米市長門石5丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。筑後川の長門石橋を渡って県道145号に入る。長門石バス停手前から右折すると八幡神社がある。碇石は本殿真裏にある。

長門石町の碇石 ながといし
久留米市 (本村区)八幡宮 碇石(花崗岩) 長128㎝ 中世〜近世 市有形民俗 WEB 立てて屋外展示 町名の由来になったという伝承のある石/①平家が長門から逃れてきた船の碇だとする説、②長門からの国の船をつなぐ舫石(碇石の転用)だったとする説などがある/県内に多い蒙古碇石とは無関係 3 C

HP「久留米市の文化財」による説明は、次のとおり。

78-2 碇 石

種 別:有形民俗文化財(昭和62年2月21日 市指定)
所在地:久留米市長門石5丁目1-13 八幡神社・天満宮
アクセス:西鉄バス「長門石」下車徒歩3分

碇石は、長門石の八幡神社に土中に突き立てられた形で建っています。赤御影(花崗岩)で造られていて、全体の四分の一程が欠けています。
碇石とは、角柱形の石材を碇として使用したもので、平安時代に来航した中国北宗時代の商船や日本の遣唐使船、鎌倉時代の蒙古来襲の軍船など色々な時代の様々な船に使われました。
蒙古碇石は、西日本一帯に40数カ所発見されています。その中心は博多湾沿岸で、西は平戸・五島、東は山口県萩で確認されています。もし、この碇石が蒙古来襲時の軍船のものとすれば、最も内陸部で南にある碇石ということになります。
またその一方で、地元の伝承や記録にある長門国(山口県)の船との関連や長門石地域は筑後川がつくった洲であることから、有明海交通の面から考えることもできます。